僕は外人コーチ第11回
− FISA lnternationaI Coaching Academyに参加して
(月刊漕艇1997年6月号)
私は1997年の1月6日から2月16日までの間、世界漕艇協会連盟(FISA)主催のコーチングアカデミーに参加しました。その報告をもって今回のリポートとさせていただきます。
標記アカデミーはスペイン・カタルーニャ地方の首都バルセロナから北に 100Km に位置する地方都市バニョレスを主会場として開催されました。スペイン漕艇協会会長のフェルナンド・クリメント氏の熱烈な招致を受けて、当地での開催が決定したそうです。バニョレスは、温暖な気候、風がめったに出ない、物価が比較的安い、などの好条件から、以前から欧州各国の真冬の合宿地として人気のあったところです。
このアカデミーはFISAにとってもはじめての試みで、受講したのは私を含めて11カ国15名のコ一チです(参加者一覧参照)。私は幸運にも日本漕艇協会のサポートを得て、参加要請を受諾されました。(注:カタルー二ャはフランスと国境を接し、地中海に面した、スペインでも最も豊かな地方。歴史的にマドリッドを首都とするスペインとは長く敵対関係にあり、カタルー二ャはなにかと独自性を主張している。独立運動もある。)
●FISAがアカデミーを開いた理由
FISAがこのアカデミーを開催した最大の目的は、世界各国、とくに「ロウイング発展途上国」の競技力向上をはかるために、それらの国々の若手のコーチ達を教育することにありました。ご存じのとおり、ロウイングは今もって真のユニバーサルスポーツとは言い難く、わすかに中国といくつかのラテンアメリカ諸国が時々世界選手権およびオリンピックの決勝に食い込む以外は、ヨーロッパ諸国に米、カナダ、ロシア、ニュ−ジーランドを加えた、乱暴に言えば「欧州人たち」が支配するスポーツです。この事実は我々日本人にとってはただのシャクの種でしかありませんが、スポーツとしてのロウイングにとっては生死にかかわる大間題です。
ロウイングは現在オリンピック夏期大会において、3番目に選手数の多い種目(1位陸上競技、2位水泳)で、96年のアトランタでは 600人の選手および役員が参加しました。シドニー大会ではこれが550人に、その後は不明ですがこのままではさらなる削減は免れない状況です。これは何も口ウイングだけが被っている苦しみではなく、各競技同様なのです。例えば陸上競技は次回 300人を削減されて 2000人になると見込まれていますし、カヌー競技ではスラロームが次回から姿を消すことになっています。
ボイコット問題が鎮静化し、総数が1万人規模に膨れ上がったソウル大会を境にして、オリンピ
ック参加者数は圧縮の方向に向かい始めました。主催の都市や組織委員会の負担が人数増加にしたがって激増したこともその大きな原因のひとつですが、IOC(国際オリンピック委員会)が大会を世界最高のパフォーマンスを競う場と位置付けて、レベルの低い選手や人気の低いスポーツを締め出そうとしていること、新たな人気スポーツを種目に加えようとしていることを見逃してはならないでしょう。オリンピックを巡る状況の変化はもちろんありますが、オリンピック開催の最大の資金源、「放映権料」の供出者であるテレビ局の意向の影響は無視できません。
クーベルタン男爵の「参加することに意義がある」というアマチュア思想の終焉を嘆く前に、果たしてロウイングは世界 3位を占めるに値し、競技するものにとっても見るものにとってもエキサイティングなスポーツと呼べるでしょうか。オリンピック競技として生き残ることができなかったとしたら、ロウイングに未来はあるでしょうか。オリンピック種目でないロウイングに、世界各国の、現在以上の多くの若者を招き入れることなどできるのでしょうか。さて、繰り返しますが、ロウイングは参加者数およびメダリストに占めるヨーロッパ人の割合が非常に高い競技です。これはロウイングが未発達なスポーツであるひとつの傍証ではないでしょうか。「ロウイングをもっとおもしろくしよう!」FISAコーチングアカデミ-(以下「アカデミー」と略)の目的はここにあります。世界各国の競技力を向上させ、より拮抗させること、そのための手段として若手のコーチ達の能力を向上させること、です。
これ以上アカデミー開催の目的を長々と書くときりがないので、以下にコースの実際について書きます。
●参加者と講師が 6週間同宿
コースコンダクターを務めたのは、トール・二ルセン氏(ノルウェイ)です。過去スカンジナビア諸国、スペイン、イタリアなど彼がヘッドコーチを務めた国々はことごとく世界の漕艇界をリードする存在となり、そのキャリアと彼自身の世話好きな性格から、世界中のコーチや選手達の尊敬を集めている人物です。スポーツ科学に関する造詣も深く、コンダクターにはまさにうってつけの人材ですし、このアカデミー自体が彼の発案だったようです。彼の他に多くのコーチや科学者などが客員講師として働いてくれました。(講師一覧参照)。二ルセン氏夫妻と参加者は、期間中、バニョレス湖を望むホテル・ミララックに宿泊しました。
客員講師たちは数日の単位で同ホテルに宿泊しました。講義やディスカッションはホテル内のカンファレンスルームか、スポーツクラブの会議室で行われました。コーチング実践の部分は言うまでもなく湖畔そして湖上で行われました。(注:バニョレス湖は 91年 Jr,世界選手権、92年五輪の会場で、スポーツクラブの建物はその際には艇庫および本部として使われた。当クラブは現在漕艇のほかに、カヌー、水泳、水球、サッカー、ハンドボール、テニス、エアロビクスなどの部門をもち、会員数は2,000人を数える。艇庫は現在クラブとカタルーニャ・ナショナルチーム(スペイン・
チームではない!)の漕艇およびカヌー部門の計4チームが共有している)
序盤の2週間はほとんど室内ですごし、講義を聞いたりディスカッションをしたりが主でした。その後も講師達による講義は6週間にわたって継続して行われました。中盤の2週間は、客員コ一チの実際のコーチングを観察したり、さまざまなテストの予行演習をしたり、テストの進め万(テスト項目の選択、プロトコールの作成)をグル-プディスカッションを通して決定したり、機具のキャリブレイション(検定作業)をしたり、が主な活動になりました。終盤の 2週間は、集まってきたヨー口ッパ各国の代表レベルの選手達を題材にしてプラクティカルコーチング(コーチング実践)の研修をし、最後の 3日間は参加者全員の評価のために使われました。
評価は6項目からなります。
1.技術観察:バニョレス合宿中の代表レベルクルーを 4,000mのあいだ観察し、そこから得た印象を随時モーターボートに同乗する試験官に話し、その内容、特に観察の正確さが評価される。どのクルーを観察するかは直前まで受験者には知らされない。
2.練習計画:1.での観察をもとに、クルーの次回の技術トレーニングセッションを計画して文書にして提出する。その内容が評価される。
3.講義:題材を自由に選択して10分間のプレゼンテーションとそれに続く5分間の質疑応答を行う。質問をするのは試験官と参加者全員。内容の高尚さは求められず、むしろ準備、時間管理、資料や OHPの見やすさ、コミュニケーションスキルなどが評価の対象になる。
4.口頭質問:アカデミーで論じられた基礎知識について20間。
5.継続的評価:アカデミーでの 6週間でのコースへの寄与。
6.ディプロマ:アカデミ-終了後 3か月以内に5,000語からなる論文を提出する。題材は自由だが、ロウイングの実践的研究であること。「試験官」兼評価者はコンダクターとアシスタントの2人、計3人が務めました。
アカデミーに参加できたことの収穫は、数えきれないほどありました。とりたてて特別な新情報と呼べるものがあったわけではありませんし、もとよりそんなことを望んでいたわけでもありません。それでもやはり思わす「へー」とつぶやいてしまうような興味深い考え方に出くわしたり、科学者達にはこれまでに得た知識を深めていただいたり、あるいはくつがえされたり、講師を買って出てくださった経験豊かなコーチ達のさまざまなやり方を観察したり、そして何よりも、参加者全員(講師、参加者問わず、その場にいた全ての人達)が時間を共有して、意見を交換し会ったこと、世界選手権なとで再会を誓い合ったこと、これらすべてがこれからの自分の血となり肉となってくれるのではないかと感じています。
●天才コーチ、ニルセン氏に敬服
アカデミーの直接の内容とは関係ありませんが、全回知り合った多くの人達との交流のなかから印象的だった出来事をいくつか書こうと思います。(やや蛇足の感はありますが)二ルセン氏が偉大なコーチであることは、自分が選手として「世界」を意識し初めたときから色々な人から伝え聞いていました。彼の成功の秘密とは? 7か国語を操る語学力、へたな学者を上回る旺盛な研究意欲、理にかなった漕法、科学的事実にのっとったトレーニング計画、統率力、それらはすべてそのとおりですが、そこに私はもうひとつ、天才的な「観察力」を加えたいと思います。
アカデミー開始から 3日目、私は不覚にもかぜをひいてしまいました。開始早々自分のせいで滞りが生じてはたまらん、と生来の見栄っ張りな性格を発揮して誰にも気づかれないようにしていたのが、彼にはー目で見破られてしまいました。もうひとつ、柔軟性テストのやり方についてああでもないこうでもないと全員で議論していたときのこと、私はカナダのある陸上選手がやっていた方法(分度器を投影して最大前屈角を計測する)がいいに違いないと思い、発言を求めました。
二ルセン氏は他の発言を制し、「ここにいる紳士がすばらしい提案をしてくれるようだぞ」といいました。私はそんなにも自信ありげだったのでしょうか? ただただ感服するのみでした。かえりみるに、私はカナダでコーチをするようになって最初の数か月は、異民族である選手達の考えていることを見て取るのを本当に難しく感じました。彼はこのことに関しては天才なのでしょうか、あるいはこれも経験のなせるワザなのでしょうか。アカデミーの発案、企画、実行、すべてに大車輪の活躍をしたニルセン氏には感謝と畏敬の念で全く頭の上がらない思いです。彼自信の膨大な知識量と他に類を見ない華麗なキャリアがアカデミー参加者に与えた影響は絶大でした。それだけでなく、彼のようないろいろな能力に長けたボスが一人存在したことで、ともすればばらばらになってしまいそうな個性の強いプレゼンタ−達と参加者達をまとめていることができたことは特筆に値するでしょつ。言い換えれば、アカデミー成功の鍵はコーチングに関して哲学(あるいは信念)を持った彼のリーダーシップがあってこそ、となるでしょうか。
その道のプロを集めたところで、コース自体あるいはりーダーに一本筋の通つた哲学がなければどんな著名な学者達をそろえたところで烏合の衆になる危険性が大きいと言うべきでしょう。このようなコースでは揺るぎない哲学と、硬直化を招かないための適度な度量の広さとの絶妙なバランスが不可欠だと感じます。その意味では、二ルセン氏の興味の対象を反映してか、生理学的な論議の多さの割りに、バイオメカニカルな、ことに人間工学的な言及が少なかったことにはやや不満が残りました。
香港チームのアシスタントコーチをしている黄志偉氏とは期間中ずっと同室で、色々と話をしました。男子軽量級を主に指導している彼にとって、全日本選手権などで対戦する日本の大学クルーにたやすく勝ててしまうことは不思議でならないのだそうです。男女合わせて30名にも満たない競技人口で活動する彼らがそう考えるのは分かる気もしますが何とも屈辱的です。彼は選手達にこういうのだそうです。「日本人は1,000mレースばかりやっているから、後半必す落ちてくる」私はそれは誤解だ、と強弁できないことに気づかされました。
●アカデミーの仕掛け人はー流選手
「ヨーロッパの選手権は皆フルタイムアスリートだ」、などというデマを流したのはー体誰でしょう。旧東欧諸国にはそういう国もあるにはあるようです。北西欧にも確かにオリンピックイヤーにはそういう選手が存在するようですが、それは事実上、我々とて同様です。北西欧の選手を取りまく状況の多くは日本と同様か、あるいは雇用主のサポートが得られることは稀である分、状況は彼らの方が厳しいとさえいえるかもしれません。このことに確信が持てたのは、今回の大きな収穫のひとつでした。少なくとも、世界選手権で日本より上位にいる国々の選手達すべてがフルタイムアスリートだとは、私は思ってはいません。
バニョレスでのアカデミー開催に尽力されたフェルナンド・クリメント氏(スペイン漕艇協会会長)は、チェコのロドニツェで開催された 93年の世界選手権で男子軽量級舵手なしベアの整調を漕いで優勝した人物です。会長などというよりも全くアスリートと呼ぶのが相応しい精惇な風貌で、スペイン人らしく、とても陽気な人でした。彼は私が同じ選手権に参加していたことを知って、最後の晩は私をパブに連れ出して、踊り狂いながら私に大酒を飲ませました。今もー線で漕ぎ続ける彼、選手たちから見ても全く隔たりを感じさせないであろう彼、会長だなんて思えないというのは日本人の私だから出る言葉でしょうか。
●「一流になってやるぞ」という決意
私は参加した中で最年少でした。それでも彼の地で出合った皆が自分をー人前のコーチとして扱ってくれ、対等に議論をさせてもらえたことがとても嬉しかったです。一生懸命教えてくれた講師達や、共に頑張った仲間のコーチ達、そしてもちろん自分自身と、この機会を与えてくれた祖国のロウイングのために、「一流になってやるぞ」という夢を改めて心に誓いました。
アカデミーで論じられた内容の詳細については敢えてここには書かないことにします。非常に目新しい話で、これをすればたちまちクルーが遠くなる、これだけは必す書かねば! などと言うものは当然存在しませんし、6週間で得た知識や経験は、どれをとってもひとつひとつが等しく大切なことばかりでその膨大な内容をかいつまんで書くことも、あるいはすべてを書くことも、到底不可能だからです。収穫を独り占めをしようなどと画策しているわけではありません。なんらかの形で還元に務めていこうと思います。
最後になりましたが、この場を借りて、私のアカデミー参加を実現に導いてくださったすべての方々に心から感謝したいと思います。ありがとうございました。
<参加者一覧>
氏名/国籍
(国籍と活動国が違う場合活動国)/ポジションデデ・R・ヌルジャヤ/インドネシア/クラブコーチ
クリステフィアン・コリブ/インドネシア/クラブコーチ
孫小華/中国/武漢体育学院研究員
俵暁東/中国/武漢体育学院講師
ボニファシオ・O・オレア/メキシコ/ナショナルチームコーディネーター
ロベルト・サルバディオ/アルゼンチン(メキシコ)/ナショナルコーチ
アルセロ・N・V・サントス/ナショナルアシスタントコーチ
フランシスコ・マスカロ/スペイン(イギリス)/大学コーチ
ザビ・ボワズ/スペイン/クラブコーチ
ムラデン・マリノビッチ/クロアチア/テクニカルディレクター
ニコライ・ブラリック/クロアチア/ナショナルアシスタントコーチ
カーステン・ハッシング/デンマーク/ナショナルコーチ
ヘンリク・ヘブスガード/デンマーク/チームデンマーク
黄志偉/香港/ナショナルアシスタントコーチ
杉藤洋志/日本(カナダ)/コーチ研修生
<講師一覧>
( )内は国籍、「 」内は所属および担当した主な内容
コースコンダクター:
トール・S・ニルセン(ノルウェー)「FISA」
アシスタントディレクター:
テリー・オニール(イギリス)「FISA」
ペニー・チューター(イギリス)「ケンブリッジ大学」
客員コーチ:
ハリー・マホン(ニュージーランド)「ケンブリッジ大学」
クリス・コルゼノフスキ(ポーランド)「オランダナショナルコーチ」
ジュゼッべ・デ・カプア(イタリア)「イタリアオリンピック委員会」
ギャリー・タウイ(アイルランド)「アイルランド・ナショナルコーチ」
客員講師:
デニス・オズワルド(スイス)「FISA会長、ロウイング」
ユルリック・ハートマン(ドイツ)
「ケルン大学、運動生理、高地トレーニング、トレーニング方法論」
ベングト・サルティン(スエーデン)
「コペンハーゲン大学、筋生理学、生理学テスト、高地トレーニング」
オーレ・アンフェルト(スエーデン)「オレブロ大学、スポーツ心理学」
チームダイナミクス」
フェルナンド・ロドリゲス(スペイン)
「スペインスポーツ科学センター、軽量級選手に関する研究、運動生理学」
ファン・リバス(スペイン)
「スペインスポーツ科学センター、スポーツ医学、医科学テスト」
イングマリー・ニルセン(スエーデン)
「心理学者、心理学・生理学テスト実践」