僕は外人コーチ第13回 − 暑い夏でした

(1997年夏、カナディアン・ヘンレー参加記)

(月刊漕艇1998年1月号)

2年あまりに及んだ研修の最後となったこの夏、私はビクトリア大学男子チームのヘッドコーチとして、20数名の選手とともに東部へ遠征いたしました。水温がほとんど変化しない太平洋北東部に面しているために気候が穏やかなビクトリアに住む友人や同僚たちは、口を揃えて「東は暑いよ」と私を脅かしました。

俺は日本人、夏の暑さは望むところ、と勇んで乗り込みました。ですが、いざオンタリオ湖のほとりのセントキャサリンの町に来てみると、気温こそ30度そこそこながら湿度も侮りがたく、いやあ暑かった。99年の世界選手権に向けて大規模なコース改造の進むマーチンデール貯水池で行われた第115回ロイヤルカナディアンヘンレー・レガッタ、砂埃舞う灼熱のへンレーアイランドでの、「狂った日本人」の奮戦記を今回のレポートとします。ちなみに狂った日本人とはいうまでもなく私のことです。Crazy Japanese Guy と呼ばれるのは、なかなか小気味よいことで、実は密かに気にいっていたのです。

カナディアンヘンレーは北米大陸で最古かつ最大、そしてもっとも権威あるレースです。5大湖のひとつ、オンタリオ湖を望む、米加国境に近いセントキャサリンという町のマーチンデール貯水池で行われます。有名な観光地のナイアガラの滝から車で20分くらいのところです。出場選手数はジュニアからマスターズまで 3000人に上ります。

イングランドのへンリーオンテームズで毎年開催されているへンリーロイヤルレガッタの名を冠していますが、レースの形式は本家のマッチレーススタイルではなく、チャンピオンシップスタイルで2000メートルの6パイレースで行われます。午前中に予選が行われ、その翌日の午後に決勝という具合にレースは進行します。出漕クルーが多いので、カナディアンヘンレーにはいくつかの独自のルールが存在します。これを知らないとせっかくの面白いこと(自体的には後述します)をできる可能性を無駄にしたり、あるいは知らずにルール違反を犯して失格を食らったりします。参加者のあいだの不文律のようなものも存在します。

これは面白い、と思うものもあれば、理解に苦しむものもあります。それらすべてをひっくるめて、カナダの漕艇人には当然(といってもこれをすべて理解している人はほんの数人では??)のことで、これぞまさに伝統というものでしょう。

私のような外国人や、あるいはカナダの漕艇人でもこのレガッタに関わりがなければこれらのルールをきちんと理解するのは大変困難だと思います。これらこそがへンレーの独自性をかたちづくる半面、レースをメディアやー般社会へ紹介するには足枷にもなりかねないものです。我々も気をつけなければなりません。

我々日本ボート界は、ボートを知らない人たちにとってわかりやすくて興味をそそられるものでしょうか? 外界に対して開かれた世界でしょうか? 例えば、ある日 通りかかった川でボートを見たある人が、私もやりたい、レースにでたい、と思ったとします。我々はその人の素朴な希望をかなえてあげられる器量を持っているでしょうか。

わがビクトリア大学男子チームは、5人のカナダ代表選手を含む 21名の選手でレガッタに挑み、13種目に20クルーがエントリーし、11種目で決勝に進出、7種目で3位以内入賞、そのうち3種目で優勝しました。21名の選手で13種目、とはあれっ? と思われた方も多いのではないでしょうか。これはー人の選手が最低 2種目をこなした結果の数字、というわけです。たとえば、チームの主力であり、U-21カナダ代表でもあるバー二一君とボール君は5日間のレガッタで 6種目にエントリーして 5種目でメダルを獲得しました。また、チームの紅一点、コックスのキャロラインさんは、舵手付き種目5つをこなしてくれました。このように、チームの多くの選手が、エントリー表を作成したコーチの私でさえ心配してしまうほどのフル回転でした。みな心も体もへとへとになったでしょうが、結果も上々、他チームの選手も同様の多くのしースをやっているわけで、それが当たり前さ、といわんばかりに最後の夜は疲れの色も見せずに深夜まで大騒ぎをしていました。

いくつもレースをしていては、一発のレースに集中できないのでは、というのももっともな意見です。きっと私も2年前ならそういうことを考えたかも知れません。でも考えてみれば、遠くの西の果てビクトリアから、3時間の時差、大きな出費、学費稼ぎのバイトを休む、(彼女と別れる!?)などの痛みを押してやってきて、2000メートル一発やって終わり、ではあまりにももったいなさすぎます。そして(これは自分の選手に対するひいきかも知れませんが)要領のよい選手は、この厳しい1週間の間に力の入れどころと抜きところを覚えて、逆に短時間でー気に集中力を上げることができるようになります。

日本の試合は漕艇協会主催の全日本選手権などだけでなく、地方の小さなレースに至るまで、予戦、敗者復活戦、準決勝、決勝、のチャンピオンシップスタイルでレースを行い、一人の選手が 2種目以上に参加するダブルエントリーは禁止となっています。これは、選手がレースのあの独特の緊張感の中で力を出すためにもっとも重要な、「経験」を身につけるチャンスをみすみす無駄にしているとはいえないでしょうか。

そのうえ混成クルー禁止とあっては、クラブが乱立して 1クラブあたりの人数が少ない日本においてはさらに限定要因になりうると思います。ヨ一ロッパに目を移すと、特に北欧諸国では競技人口が少ないために試合形式そのものが違っている場合も多いです。

レガッタは普通土曜と日曜の 2日間行われ、それぞれ1日で予選と決勝がおこなわれます。土曜と日曜で優勝者が違うこともしばしばです。これらのレースは各国が密集するヨーロッパの地理的要因を反映して、多くが外国のクルーが参加する国際レースです。クルーは土曜日曜で違う戦術を試したり、リギングを変えてみたり、あるいは選手を入れ替えてシートレースの理想的な条件ととらえたりもします。つまりテストの場として可能な限りより多くのレースに参加することがいわば「常識」です。

最も重要な能力であり、反面もっとも見極めにくいストレスマネジメントの能力を評価するには、予想されるストレスになるべく近い状況でテストするしかありません。

日本でも、特に地方レースからこんなレース改革をしてみてはいかがでしょう。ダブルエントリー可能なスケジュールで開催されるしースは参加クルー数が増えて盛り上がるかもしれません。

国体でも、選抜チームやダブルエントリーを奨励して、地域のもっとも優れた選手の選抜クルーでトップを競うという形で選手権試合と差別化を図ってはいかがでしょう。

さてカナディアンヘンレーレガッタに話を戻しましょう。独特のルールのいくつかと、それにまつわる苦労話などについて書こうと思います。

前述のようにすべての種目は敗者復活戦なしの予選・決勝で行われます。男女のシングルなどエントリーが多い種目では準決勝もあります。エントリーは一度レースの3週間前に締め切られてレースのスケジュールが発表されますが、空いているレーンがあるかぎり、予選レース開催の前日の夕方までエントリーができます。(ただし、エントリー料は倍になります)同じチームのメンバーであれば、これも予選レース開催の前日の夕方まで変更が可能です。

一度予選を漕いだら医学的な問題のないかぎり選手の交代はできませんが、シートの変更はできます。このようなルールの恩恵を被って、トラブルに対応して選手を変えたりできましたし、あるいは選手の方から艇を調達してきてこのしースに出たい! と言ってきたりしました。大切なレ一スに支障が出てはならないので、やり過ぎにならないように抑えたほうがいいかななどと思ったほどです。

敗者復活戦は存在しませんので、予選の上位クルーでそのまま決勝です。予選が3レースの場合は各組上位2クルーが決勝進出、6レースの場合は各組1クルーが決勝進出、4レースの場合は各組1位のクルーと、2位クルーのうちタイムが上位から 2クルーが決勝へ、という具合です。私が冷やかしで参加したシニア軽量級シングルスカルのレース、予選でメキシコ代表のスカラー相手にとっとと敗退したのですが、ああ終わった、減量も終わった、と大めしを食っていたところ、選手に「ヒロシ、タイムで決勝進出だ」とかつがれ、肝を冷やしました。

重量段階は 3つあり、オープンと軽量級と超軽量級があります。軽量級は国際ルールと同様で、超軽量級はそのさらに10ポンド軽く体重が設定されています。最大重量は男子 68Kg、女子で 54.5Kgです。ほぼすべての艇種に関して全重量階級があり、男子超軽量細舵手付きフォアなどという珍妙な種目も存在します。

エントリー数があまりにも多いことを反映して、各種目は 2つのレベルに分かれています。Intermediate(中間)と senior(シニア)です。「中間」は、初参加以来優勝のない選手で、23歳未満の選手に資格があります。23歳以上でも初参加であればエントリーできます。彼らも望めばもちろん「シニア」にエントリーできます。一度でも優勝した選手、A代表(世界選手権やオリンピックの代表)経験のある選手、23歳以上で過去に参加経験のある選手はすべて「シニア」のレベルにしかエントリーできません。

この上に「エリート」というしベルもあり、1xと 2-の代表レベルの選手が競います。他のレベルではできない混成クルーもこのエントリーレベルにはエントリー可能です。「中間」で優勝したクルーはそのまま「シニア」の決勝に進みます。スイープ選手としては「シニア」でも、スカル選手としては初挑戦、と言う選手は「中間」のスカル種目にエントリーできます。その逆はできません。軽量級の「シニア」選手も、エイトに 2人以内、フォアに1人なら、「中間」のオープン種目にエントリーできます....さあどうでしょう。すでに頭はパンクしそうではないですか?

各クラブはそれぞれに艇を確保せねばなりません。運搬する自艇と借艇で賄うことになりますが、いい加減な国民性を反映して(?)、事前に手配した借艇すべてが思い通りこそろっているなどは夢のような話で、大会期間中各チームのコーチは鬼のような形相で走り回っています。私も御多分に漏れず、眠る間も惜しんで艇借用に奔走しました。デスクワークをしてくれていた留守部隊の手配した艇はなぜかすべて話が通っていなかったり、1つの艇を複数のチームが借りる契約をしている「ダブルブッキング」だったり、メーカーから来たトレーラーが遅れたうえに持ってくる艇を間違えたり。思いだすだけで疲れてしまう体験でしたが、艇を借りる交渉に走り回ったのと、同じように交渉に現れる人々のおかげで、多くの北米のチームのコーチと顔見知りになったことだけはよかったとしよう、というところです。

妙な風習というか、そういったものはまだまだ恐ろしくたくさんありますが、ますは今回はこのあたりで書き連ねるのはやめにして、あとは皆さんで挑戦されてはいかがでしょうか。

全回のレガッタでー番嬉しかったのは、大学のシーズン(前年秋から翌春まで)にはずっとセカンドに乗っていた選手が中間フォアで並み居るアメリカの強豪をブッちぎって下して優勝したことです。悔しかったことといえば、シニアのフォアとエイトの両種目でいずれもセントキャサリンRCにコンマ差で敗れて2位になったことでしょうか。それでもスタートでつけられた大差をゴールではー瞬、勝った!と思ったくらいに取り返した選手たちのタフな漕ぎに、悔しいという気持は不思議となく、あいつらすごいなあと思うだけでした。

1年間、一部の選手は2年間、この謎の日本人に付き合ってくれて、本当に有難うと言いたい気持でいっぱいになりました。またいつかどこかで、できたら世界選手権などの会場で彼等に会いたい、と今は思っています。