僕は外人コーチ −6− 漕法に関する考察

(月刊漕艇1996年8月号)

日本のロウイングの世界には、本当に数多くの「漕法」があるような印象を受けています。私個人も、いろいろな「漕法」の間をゆらめきながら漕歴を重ねてきました。中でも印象的なものは、以下の 2つです。

一つ目はもう10年以上も前の古い話ですが、母校の高校ボート部ではキャッチの直後に脚伸展をせず、まず上体をバウ方向にあおっていました。見た目には、かの有名な筑波回転漕法にもやや似ていますが、われわれは「腰痛防止のため」と教わりました。いま考えると、苦笑を禁じ得ません。

二つ目は大学ボート部に入部した年、ちょうど部の成績が低迷していた時期のことです。当年の対校エイトがその2年前にインカレの決勝に進出したクルーの実行した「漕法」を模倣し、似て非なるものが出来あがっていたのを私は幼い目で見ていました。

そのころ、80年代後半と比較して最近(といっても昨シーズン以前ですが)の全日本選手権などを見ていると、ナショナル・チーム強化方針のーつである「スタイルの統ー」の効果か、あるいは各個人やチームによる基本を徹底しようという努力の結果か、極端な、いかにも不合理なスタイルというのは減っているようです。それでも、いまも選手が可哀想になるような漕ぎをするクルーが存在するのはなぜなのだろうか、といつも考えていました。

日本にいた時ほど様々なクラブの漕ぎを目にする機会が多くないので、断言するのは危険かも知れないのですが、カナダの数々のクルーを見ていると、上手、下手こそあるものの、基本を完全に逸脱するような漕ぎをしているクルーはほとんどないことに気づきます。その答えを、私はテクニカル・ディレクターの存在と、系統立ったコーチ教育に求めています。

NOCPによってコーチを教育するというシステムは、競技のとらえ方をカナダ国内で統一するということに、特にロウイングにおいては、大いに役立っていると思われます。(他の競技では、あまり上手くいってない場合もあるようです)

ロウイング競技のとらえ方、それはつまりロウイングの基本の理解のしかた、といえます。余談ですが、NOCPシステム草創期(70年代中期)のテクニカル・デイレクターはじめ、コーチや科学者スタッフの強力なリーダーシッブと先見性が、今日の成功の基礎ではないか、という印象を受けています。 トレーニング計画の立て方、テクニック、リギングなど、現在 理にかなっていると思われるやり方、考え方が、レクリエーショナルなしベルからトップ・レベルに至るまで、ロウイングの基本として1本の柱のように、国内のオアズ・パーソンの間で、程度の差こそあれ、理解されていること、あるいは理解されようと努力していることの素晴らしさは、考え始めたらキリがありません。

蛇足になりますが、これは決してコーチングや選手のパフォーマンスを型にはめようという意図を持ったものではなく、基礎的な理解すべき事項についての知識であって、実際のコーチングはそれぞれそのコーチ自身のやり方があるのは当然です。

NOCP技術単位の、ロウイング・テクニックの記述についてここに書くことはあえてしません。なぜなら、あまり意味がないと考えるからです。

どうしても、という方は、FISA の Coaching Development Program Level-1,2 を読まれることを薦めます。

カナダ・ナショナル・チームがどんな「漕法」を採用しているかを分析して、ここに書くことも敢えてしません。

たとえば、キャッチ直後の上体はこんな風で、腕はどうで、などと書き連ねるのも無意味だと思うからです。彼らの練習を見学したり、コーチと話したり、数回ではあるもののー緒にボートに乗って漕いだり、レースを見たり、艇を並べたり...といろいろしてみた中で、たくさんのアイディアを得ることはできました。しかし、その「漕法」の本質を理解しているかどうかは甚だ疑問です。

ある「漕ぎ」は、そこに見える「漕ぎ」だけがそれではなく、その裏には、目標とするパフォーマンスを実現するための実に多くのビジョンとプランが存在するわけです。

ですから、例えばある選手の上体の動きを真似したり、あるクルーの腕の使い方を真似たり、というのは技術習得のためのビジュアライゼイションの道具として使うのには有効であっても、それがそのまま、あなたがコーチしている選手あるいはあなた自身によって表現される、という性質のものではありません。

もしそれを試してみても、それはその「漕ぎ」とは異なるものになる、と考えるべきです。なぜなら、その「漕ぎ」は「彼ら」あるいは「彼女ら」のものですし、そのあるー局面、たとえばあるレースでのビデオを見ても、「彼ら」あるいは「彼女ら」の積み上げてきたものも、なぜそうするのか、という理論も見ることはできません。加えて言えば、それは「彼ら」あるいは「彼女ら」の理想とする 「漕ぎ」ではないかも知れません。

ロウイングの競技者である以上、ひとつのスタイルを採用して、その漕ぎをチームがー丸となって表現すべきです。そして、そのスタイルは基本に忠実であるべきです。そして、外部からあるー側面を持ってきて、それをそのスタイルの本質として注入することは、どだい不可能です。

あるスタイルの本質を教えてくれる人も本もあるわけではなく、それはそれぞれが創造すべきだと私は信じています。

ロウイング・テクニックに大切なものは基本だけであって、それ以上でもそれ以下でもないと私は思います。

それをどう表現しようかということに知力と体力を使うべきです。何を以て基本とするかはいろいろな捉え方があるでしょう。

FISAやRCAの位置づける、ロウイングの基本中の基本とは Positive Forceを最大にし Negative Forceを最少にするということだと思います。この考え方は実に多くを語っています。心技体すべてにおいて、この基本が表現されたときに最高のパフォーマンスが生まれます。

どうすればそれが表現できるか、これこそが競技者たる者の終りなき挑戦ではないでしょうか?

ドリューは、ロウイングの基本を彼なりの捕え方で七つに分解し、それを分析して「Moving the boat effectively」*を著したと私は理解しています。(*:1992年から1994年にかけて日本に滞在して日本ナショナルチームを指導したドリューハリソン氏が執筆したローイング・テクニック講座「ハリソンの漕法講座」のこと。月刊漕艇(現月刊ローイング)1993年4月〜11月にかけて連載された。同連載を1冊にまとめたものが現在日本ボート協会より購入可能である)

実は私、「漕法」という言葉に、ある種の抵抗を覚えています。というのも、絶対無二の「漕法」の存在に疑問を抱いているからです。私自身の印象でいうと「漕法」という言葉から連想されるのは、選手の漕いでいる姿ではなく、「こうやって漕ぐ」ということを伝えるために、言葉という形に翻訳されたマニュアルのようなものです。

そもそも、ロウイングやスポーツのパフォーマンスを、言葉を並べることによって現出できるものでしょうか?

スティーブン・レッドグレイブ選手の「Complete Bookof Rowing」を読んだ人は、彼のダイナミックな漕ぎに感銘を受けることができるでしょうか? オリックス・イチロー選手の「振り子打法」を言葉に置き換え、その情報をある打者に与えたら、彼はスラッガーになるでし上うか?

漫画「美味しんぼ」のゆう子さんの台詞を読めば、どんな味のする料理であるのか理解して、それと同じ味を探り当てることができるでしょうか?

音楽雑誌のコンサート評を読んで、その演奏の素晴らさ(あるいは、ひどさ)が判断できるでしょうか?

ちょっと脱線が過ぎたようです。

言葉はあくまで補助論的なものであって、言葉を発するものの表現力と、受け手の豊かな想像力とがあって、そして努力の末に、それを視覚化(ビジュアライゼーション)して初めて効力を発するものだと思います。

私自身の苦々しい経験を基にいえば、ある「漕法」が唯一無二の教科書であると思ってしまうと、確実に泥沼にはまり込みます。

トレーニングもしースも、いいものにしようとしたら、われわれはできるだけクリエイティブにならなければならないと思います。

ロウイングの基本を表現するために、創造的になる。「基本」と「創造」....二律背反のようですが、今、私はこのニつが「漕法」のキーワードだと考えています。

 

[補 足]

この稿は、まるで他のクルーの漕ぎ、あるいはそのビデオを見るな、真似するなと言っているように思われるでしょうか?

私は、その良い効果を否定しているのではありません。見方を間違えてはいけない、と言いたいのです。

それから、高いしベルの漕ぎをビデオだけでなく、可能ならばナマで見られることをお薦めします。

野球のTV中継で見る150kmの速球と、実際の打席で打ってみるそれとの違いを経験されたことがあるしょうか。

それ以上のショックを受けることと思います。

 

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