第54代主務 木村 友美
1.主務と漕手
我々の代は男子漕手3名、女子漕手4名、女子マネ3名、女子コーチ1名の計11人とこれまでの北大ボート部の中でも特に男子が非常に少ない代であった。そのため、この中から専任の男子マネージャーを出すことは困難を極めた。
しかし、今の北大ボート部では主務と漕手は別物だった。主務と言えば艇から降りてマネージングに集中し、漕手は艇上で勝利の喜びを、主務は陸からその喜びを分かち合うものとして存在してきた。現に、私が北大ボート部に入ってからの歴代の主務は全員それに当てはまっており、彼らはそうしてその激務をこなしてきていた。
しかし、別である必要があるのだろうか。
私はふと、そんなことを考え始めた。専任で出来ないのなら漕手と兼任でやればいい。最近では余り例を見ないが、過去に現役選手と主務を兼任した諸先輩方も北大ボート部には存在する。最近では漕手と兼任した主務がいないということで多少、大変なことがあるかもしれないが、この少ない上級生がその少なさを生かして、全員が仕事を分担していけば、一人に何もかもが集中せず、理想的な組織に近付くのではないだろうか。
杉藤コーチの招聘から3年目に突入する私たちの代で、北大ボート部がより洗練された組織になるためにも全員の結束と意識の向上は不可欠であり、それを可能にするためにも私自身の主務と漕手の兼任が部に良い影響を与えるかもしれない。そういった期待とプレッシャーを感じつつ、漕ぎやめることなく主務を務めることを決意した。
2.全道選手権(99年9月)
インカレ後、初めて全部員出漕する大会となる全道選手権で一大事が起きた。
北大側では日本ボート協会の主催する大会を基準に考えていたので、エントリー後のクルー変更が可能であると考えていた。しかし、全道選手権を主催する北海道ボート協会ではエントリー申し込み後のクルー変更が認められない国体のような大会形式を採っており、エントリーに関する細かい規定が要項に記載されていなかったのもあって、北大クルーはエントリーでの出漕選手と実際の選手との違いから、大量棄権を余儀なくされてしまった。
全道選手権は北大にとって新人戦前の貴重なレースであり、特に1年生にとっては初の公式レースであることに加え、約15万円ほどになるレースエントリー料を考えても大変な痛手になるものであった。
昨年も同じような問題で棄権している北大クルーがいたことを知り、これは根本的にルール改正を求めるべきであると判断し、冬に行われた道漕総会でこの件でのエントリー方法の見直しと、茨戸を活動拠点に置く北大が大会の更なる円滑な運営のために、単なる出漕団体としてだけではなく、運営の面でも協力体制を作りたいということを提案した。こうして、今年からは全道選手権でエントリー方法が改善され、昨年のような誤解やトラブルは回避され、より良い大会状況になった。
しかし、この大会において最も多くのクルーが出漕する北大が大量棄権をしたことは大会そのものに大きなダメージを与え、他団体の方々には大変なご迷惑をお掛けしてしまう結果となった。今後、このようなことが決して起こらないよう、北大の中だけではなく、外部の方々に対しても情報伝達や意思表示をしっかりと行っていく必要があるだろう。
3.全日本新人選手権(99年10月)
この年から毎回、戸田で行われていた新人戦が岐阜の長良川漕艇場で開催されることになった。どの全日本の大会も戸田ばかりで開催されることにウンザリしていたので、この試みは支持できるものであった。が、しかし、如何せん完成したばかりのコースだったため、艇庫も無ければ宿泊施設も無い、それに付け加えて交通の便も非常に悪いという、前途多難な遠征を予期させる材料が山ほどあった。
特に我々北大は参加人数が多かったため、宿泊所探しに奔走した。主催者側から紹介される宿は素泊まりでも一泊3000円という高価さだったので、私達は独自に宿泊所を探した。結局、杉藤コーチが名古屋港艇庫と会場近くにある問源寺を探し当ててくださり、その2箇所に宿泊することとなった。
どちらの宿泊所の方も非常に親切で、破格な値段で泊まらせていただき、遠征費をかなり節約することが出来た。また、中部地区にお住まいのOB、OGの皆様にも大変お世話になり、無事に遠征を終えた。
翌年の新人戦も長良川で行われたので、この遠征で周辺の宿泊所の方々と懇意になれたのは大きな収穫であった。また、最大8レーンを使ってレースの出来る広々としたコースも茨戸とはまた異なった環境で、選手たちの士気を刺激したようだった。
4.Head of the BARATO(99年10月)
北海道のシーズン最後のロングレースとして定着しつつあるHead of The BARATO。今回は残念ながら一日目が強風のためレースを中止し、二日目に予定していた茨戸コースのスタートからペケレット湖までのレースを一日目の放水路から茨戸大橋までの約7.5 kmを漕ぐコースに差し替えて行い、全クルー完漕させることが出来た。
この大会は茨戸を全国に知ってもらう良い機会であると同時に、普段、戸田のように多くの強豪クルーと並べる機会が少なく、自分たちの力のレベルを感じにくい北大にとって、全国各地から訪れる強豪相手にレースができることは納艇前のこの時期に非常に良い刺激となっている。
また、この大会を運営するにあたって多くのOB、OGの皆様に商品提供などの面で援助していただきました。この場を借りて、深く感謝いたします。
今後、更に多くの団体にこの大会に参加してもらうためにも、Head of the SETAのように更に運営の効率化と知名度のアップにつなげていくべきでしょう。
全国各地で高校ボート部顧問や、ローイングクラブに参加しているOB、OGの皆様、是非このHead of the BARATOの参加を呼びかけていただきたいと思います。
5.お金が無い
いきなりこんなサブタイトルだが、読んでの通り、引継ぎ後の北大ボート部にはお金が全く無かった。それどころか去年からの赤字が60万円もあったのだ。原因としては部員の節約意識の少なさと、茨水会からの援助費が当初の予算よりも少なかったことが挙げられる。そこで、部長、会計の藤重、前々会計の須貝さん、OBの中山さんなどと相談し、茨水会費納入のお願いを文書にして作成し、会費未納のOBに送付しようということになった。
しかし、時期的な問題や茨水費納入願いを現役から行うのはおかしいのではないかといった意見がOBの方からあり、この計画は見送ることにした。その代わり、OBまわりを徹底して行うことにし、早速札幌のOBの方々からアプローチし、正月に帰省する部員には帰省先にいるOBの皆さんと接触するなどして資金集めを行った。その甲斐あってか、何とか赤字は脱出したが、お金が足りないことに変わりは無かった。
6.造艇計画
北大ボート部にはOB、OGの皆様や杉藤コーチのおかげで多くの艇が揃っていた。しかし、インカレの主要種目でもある二つの艇がまだ無かった。
それは女子舵手つきフォアと男子舵手無しクオドルプルである。
昨年のインカレで女子フォアは4位に入賞し、そのメンバーが全員今年も残り、十分に優勝を狙えるクルーであること、そして女子レース艇の不足した現況からも女子フォアは必要不可欠であった。なので、私たちはこの女子フォアを第一に造艇計画を考えていた。
そんな折、昨年度で停年退官された竹田部長の計らいで学生部から余剰予算の範囲内で新艇を購入してもらえることとなった。そこで、杉籐コーチがカナダにいた頃に出会い、その性能に定評のあるカナダ・ハドソン社製の女子フォアを初の女子用外国艇の新艇として迎えることが出来た。これには竹田部長と杉籐コーチのご尽力によって成功したといっても過言ではない。この場を借りて再度御礼申し上げたい。
そして、実際この艇を使うであろう女子部員全員で話し合って、北海道の地名から「幸震(さつなえ)」と名付けた。
また、杉藤コーチを通じて、明治生命に中古だが非常に状態の良い、舵手なしフォア・クオドルプル兼用艇を安価で手に入れるチャンスが巡ってきた。しかし、前述した通り、部にはお金が無く、いくら安価とは言っても艇を買う余裕は全く無かった。しかし、去年のインカレのクオドルプルは艇が無いために茨戸ではダブルに分乗して練習し、戸田に入って初めてクオドルプルで練習を行えたという経緯があったため、何としても私達はこの艇が欲しかった。よって、ミーティングを行い、現役部員がお金を出しあってこの艇を購入することで一致した。有難いことに先方には2年に渡る2回の分割払いを承諾していただき、念願のクオドルプルを茨戸に持ってくることが出来た。
そして、こちらは男子部員によって、これも北海道の地名から「男能富(だんのっぷ)」と名付けた。
7.冬季練習の打破(99年11月〜2月)
一番の課題となる冬季練習。昨年の失敗を知っているだけに、いろいろな策を考え、冬季トレーニングを開始したが、やはり出席率の悪い部員が何人か見え始めた。しかも、その顔ぶれが昨年と余り変わらないことに情けなさとやりきれなさを感じた。練習の質を問題にしたいときに、練習に出るという基本中の基本さえも出来ていない人間がいる。しかも上級生に。それを見た下級生は何を感じるだろうか。出欠表を作っても、罰を科しても殆ど変わらない。この状況に杉藤コーチからも今まで自主性に大きく任されていたトレーニングの形態を大幅に変えることを提案され、そこまでしないと出来ないこの部とさせることの出来なかった自分に憤りを感じた。
トレーニング形態が変わって、半ば強制のような形になり、以前よりはましになった。しかし、来シーズンの冬も同じようにしないと冬のトレーニングは定着しないのだろうか。
冬季トレーニングは体力作りには欠かせないものである。
ラスト500mの弱い北大の一因ははここにあると言える。他大学が冬も艇上で練習を行い、体力、技術の両面での向上しているときに、艇上にいるように技術向上が難しいエルゴでそれを補う分の体力をつけなければ、到底かなわない。
みんな、それを分かっているはずなのに、自分自身に負けてしまう者が多い。
「こうしろ!」と強制することも解決策だろう。しかし、自分からトレーニングに対して積極的になる方が、体力的、精神的に辛い冬を打破するには有効だ。
意識の違う全員が自分で考えて計画を立て、トレーニングが出来るようにすることを第一に考えていくべきだろう。
8.春合宿(2000年3月)
今年も例年通り、お花見レガッタの一週間前まで瀬田で行った。徐々に瀬田に慣れてきたように思う。今回は京大艇庫と京都府立医大の艇庫に約1ヶ月間、泊まらせていただいた。京都大学では昨年、一昨年も春合宿でお世話になっており、毎年この大人数を受け入れてくれる、その懐の大きさには頭が上がらない。部員やコーチの皆さんはとてもご親切に毎回接してくださり、北大艇庫とはまた違った雰囲気を感じ、練習だけでなく、マネージングや生活形態など、多くのことを学ばせていただいた。また、京都府立医大でも主将の稲生さんには秋口から艇も置かせていただくなど、非常にお世話になった。この両校を無しにして北大の春合宿は成立しなかっただろう。心より感謝いたします。
恒例となった京大との並漕レースでは負けを喫してしまったが、反対にこれによって更に部の雰囲気が引き締められた。女子は瀬田RCの方々と並漕させてもらい、強烈な刺激を受けることが出来た。
9.新人勧誘(2000年4月)
今年はお花見レガッタが新勧の一番貴重な時期に重なり、スタートから上級生の少ない走り出しとなった。この2年間、新勧には成功していたので今年もその地盤を固めたかった。しかし、勢いはついたものの昨年ほどではなく、男子30人という目標に届くことが出来なかった。しかし、女子が20人近く入部し、今でも大所帯をなしている。その中でも漕手希望者が多く、マネージャー不足の現状には合致するものではなかった。
10.マネージング
今年の北大マネージャーは艇を降りる者がいないのもあって、少なかった。私を含めて2年目2人、3年目1人、4年目4人の合計7人でその役割を果たしていた。その中でも4年目は就職活動で忙しく、実際はこれよりも少ない人数で機能していた。
私がまだ1年目だった頃、マネージャーは今よりも多く、各学年に平均4人ほど、全員では10人以上いた。
しかし、マネージャーの人数が仕事の能率に比例するわけではない。実際、今シーズンのマネージャーは少なかったが、それぞれに精鋭で、その激務をしっかりとこなし、漕手とのコミュニケーションも取れていた。
総勢100人近くから成る北大ボート部を支えるにはマネージャーが不可欠である。レースでのエントリーや遠征での宿泊所の確保、艇運搬の事前準備、エッセン作り、タイム取り、外部への諸手続きなど、その仕事は言い出したら切りがない。まだまだマネージングにも改善すべき点は多くあるが、個人の意識の高さでは全体的に見ると、マネージャーのほうが高いと感じた。それだけ、彼女たちは漕手のことを考え、どうしたら強くなるか、どうやったら円滑な遠征ができるかなどを、事細かに考えている。
現在は1年目のマネージャーが参加し、前主務の松崎さんのアドバイスもあって、月一で報告書を作成したり、トレーニングやエッセンなど各項目で更に効率的で漕手を考えたマネージングを目指している。
これからのマネージャーのレベルアップがとても楽しみであると同時に、自分の持っているちょっとした知識も提供していきたい。おそらく、今後、マネージャーからOB、OGの皆様へのお願いも今以上に出てくると期待されるので、その時はご協力をお願いいたします。
11.ミーティング
@全日本選手権が終わって(2000年6月)
全日本選手権はご存知の通り、結果は不振だった。その後、茨戸で夜7時から全員が集合してのミーティングを開いた。このミーティングはおそらく全部員にとって最も密で長いミーティングとなった。
ここで、部員同志で今後のボート部のあり方を協議した。その後、杉藤コーチより「北大ボート部に一番欠けているものは自立と自尊、この中から甘えは決して生まれない。男女ともはっきりとした軸が存在しない。上級生のリーダーシップの無さが目立つ。北大ボート部の改革が出来ないのなら、主将を交代し、選手から専任マネージャーを出せ。」という言葉を受けた。
私が主務と選手を兼任しようと考えた動機の一つに、北大ボート部を選手兼任で主務をしても支障の出ない組織にしたいというのがあったので、この杉藤コーチの言葉は衝撃だった。
しかし、確かに主務としての仕事を上級生にいまいち分担しきれておらず、結局自分が背負い込んでしまうところもあり、仕事分担の難しさを肌身に感じていたのは事実だ。これらから、3、4年目以上は自分が主将、主務と考えるなら、一体どういったことを掲げ、実践していくかを一人ずつ明言して、幹部変更をしないという選択をし、その代わりに意識の向上を本気で全員が実施するんだということを確認した。その後,リギング、約1時間ほどの睡眠の後、いつも通り時間に朝練をこなした。
Aインカレの出漕クルー〜対校エイトは出さない(2000年7月)
対校がエイトで出ないことについて、対校の9人の中では納得していたものの、全部員に対しての説明がなかったため、それを対校9人自身から説明を受けた。
現在の対校は4年目の部員不足もあり、5年目の小山を除いてあとは全て2、3年目から成る若いクルーである。経験の浅いこのクルーに、エイトとしてインカレに出たという結果しか残らないレースよりも、インカレ最終日に残ることで、勝つことを頭に思い描けるレースをして、来年のより強いエイトを作る糧とすることを重視し、今年は対校エイトではなくペアやフォア、ダブルに出漕することにしたという。
確かに、エイトはボート競技の中で一番の花形種目であり、多くの大学が対校選手をエイトに結集させてインカレに臨んでくる。対校以外のエイトを組んでインカレに出漕してくる大学は殆ど無いと言って良いだろう。
しかし、だからと言って、部全体から突出しているわけでもなく、ただ上位にランクする8人をエイトに乗せることに対しては疑問を抱く。その上、まだ年齢も経験も浅いこのクルーが多くの強豪からなるエイトのレースに出漕し、「よく頑張った」だけで終わることよりも、私たちはそのエイトを分割し、本当に‘勝ち’を実感することが出来る勝負をすることを部員全員が納得して選んだ。
それ以外のクルーについて、対校がエイトで出ないのならセカンドがエイトで出たいとの要望もあった。しかし、対校がエイトで出ないという厳しい選択をしたのに対し、その下がそれならばインカレエイトというのは安直すぎる、北大としてインカレでエイトを出さないならば、その方針で行くべきだとの意見があり、エイト以外のクルーでエントリーすることに決定した。
また、去年アシスタントコーチを務め、今年は漕手として活動していた学習院大OBの上野晋氏にセカンドクルーで結成したオックスフォード盾レガッタのエイトに乗ってもらうべきだという意見もあったが、セカンドクルーがインカレ出漕を希望したため、こちらから無理をお願いし、サードクルーからなるオッ盾エイトに乗っていただくことになった。
これらの選択は非常に厳しいものだ。私たちにとってエイトを出さないということは、自分たちで選択したこととはいえ、やはり屈辱的なものに違いない。しかし、男女ともエイト以外の種目を全てエントリーしたからには全クルーが北海道大学漕艇部として、意地でも上位を狙っていかなくてはならない。もう何の言い訳も効かないだろう。
12.定期戦(2000年6月)
今年の商大戦は商大主管だった。そのため商大戦では東北戦の参考にしようと、その運営に目を注いだ。しかし、商大は主務が慌しそうに走り回り、北大OB用にこちらが建てたテントに商大マネージャーから「何かお仕事ありませんか?」などと聞かれ、面食らったりもした。ここで、大会を成功させるには部員全員に運営方法を理解させることが重要だということを悟った。
東北戦(2000年7月)では6月から具体的な準備を始め、各方面のOBや関係者の方のご協力を得て、無事に開催することが出来た。特に力を入れたのは部員への運営方法の十分な説明と理解させることだった。定期戦では実際にレースをする部員より手伝いにあたる部員が倍以上いる。レース出漕者は出来るだけ集中させ、あとの部員は彼らの勝利を導くためにレースにも匹敵するほどの努力をすることが必要だろう。
結果、対校がカンバス差で負けたが、それ以外のクルーは全勝だった。対校エイトの勝利=大学の勝利というのが通説だろうが、この大会において私はそれを思わなかった。北大の勝利とも思わなかったが敗北だとも思わなかった。全体としてのレベルが着実に上がってきていることを肌で感じることが出来たからだ。
13.インカレ(2000年8月)
今年は遠い地方の大学から国立艇庫に優先的に入れたため、北大は去年とはうって変わって全員が国艇に宿泊することが出来た。長いクルーで2週間、短いクルーでは4日間を戸田で過ごした。
全日本は私自身の故障のために主務業に専念でき、軽量級では主将荘司がマネージングをこなしてくれたので、自分が主務、漕手とも務めなければならない全日本の大会はこれが初めてだった。借艇などはそのクルーに責任を持ってやらせたが、女子マネージャーやコーチに伴走など仕事の大部分を任せてしまった。
結果としては金メダル1個に銅メダル3個。そのどのレースも北大部員は狂喜した。
北大応援団の応援もあって、戸田に似合わないほら貝や鯉のぼりのはためきの音を響かせ、全部員が自分のレースのように歓喜した。特に男子なしペアの金メダルはお祭り騒ぎだった。彼らはここまで至るのに最大限の努力をして来ていた。それをみんなが知っているだけにこれほどの喜びを見せるのだろう。
そして、女子フォア。彼女らの努力も並々ならぬものだった。彼女らのレースは私の蹴り出し直前だったが、その結果に一緒に涙した。決して彼女達の努力が足りなかったわけではない。しかし、優勝への壁は厚かった。人一倍、練習に練習を重ねてきた姿を思うと感情を抑えきれなかった。
これら全て、北大ボート部の結果である。優勝した男子なしペアも、敗復で落ちてしまったクルーの結果も全部、北大ボート部のこの一年間の結果なのだ。エイトが出ていようがいまいがそれに何も変わりは無い。全てに満足できる結果ではなかったものの、この夏までに私達の選んできた道は決して間違ってはいなかったと改めて実感した。
14.終わりに
シーズンに入ってから私たちは全員が一丸となっていたのを感じる。そうは思わないという意見もあるかもしれないが、ここまでクルー単位でなく、上級生だけでなく、全部員で様々なミーティングを重ね、真剣に考えてきたことは北大ボート部にとって重要な財産に違いないだろう。
以前までは対校だけ勝てばいいんだと言う風潮さえあったと聞く。そんな中では、各クルー間、男女間でどんなトレーニングをこなして、どのような目標に向かっているのかさえも知らなかったのではないだろうか。
私たちは全員北大ボート部員なのだ。部としての方向性が見えなくなってきたときも、一人一人がボートに対して何を考えているのかも分からなくなりそうな時もあった。しかし、そんな中、ミーティングを行ったことで完全ではないにしても、お互いを知ることができ、全クルーの勝利に下級生も上級生も、漕手もコーチもマネージャーも心から歓喜し、敗北には悔しさを露わにした。
北大ボート部はまだまだ変われる。発展途上にあるためその上昇が時には頭打ちになることもあるが、何かのきっかけが掴めさえすればそれはみるみる良い方向に向かうのだ。重要なのはそれを確実に次の代に繋げていくこと、そして上昇に陰りが見えていたときにはすぐに対策を立てることだろう。
そして、今まで支えてくださった多くの現役部員やコーチ、OB、OGの方々に心から感謝するとともに、OB、OGの皆様にはまだまだ北大ボート部に対して出来ることはたくさんにあるということを申し上げたい。その中の一つとして、ご多忙なのは承知の上ですが、是非、生の現役部員を見ていただきたい。茨戸に来て練習を、戸田に来てレースを、瀬田で合宿を見てください。私たちが活動している姿をご覧になって、何でもお感じになられたことを教えてください。叱咤、激励してください。現役からも今の状況を出来る限りお伝えしていきます。OBの皆さんと現役との意思疎通が十分に図れてこそ、北大ボート部の発展に繋がるでしょう。
今年は来年への糧として小艇で出漕しました。
その糧をエネルギーにした来シーズンの北大ボート部に私たちもエネルギーを注ぎ込もうではありませんか。