昭和28年入学 八木 眞之助
28年入学32年卒の八木眞之助です。
私は昭和29年5番漕手として乗艇し、その後30年5番、31年3番と3年間エイト漕手として乗艇した。今年久し振りに全日本学生選手権で戸田に於ける学生諸君の活躍を拝見して往時を思い起こし、本稿を投稿する次第である。
幸いにも今年は小艇とはいえ北大優勝と言う言葉を聞くことが出来て誠にうれしい限りである。過日学士会館における茨水会新年会である大先輩が奇しくも発言されました。“我々の目の黒いうちに、何とかもう一度優勝と言う声を聞かして欲しい”と。出来ることならエイトでこの声を聞きたいと切に願うものである。
北大漕艇部も誕生してはや50数年になろうとしている。今漕艇部の歴史を紐解いてみると北大漕艇部誕生は昭和20年とある。昭和27年国体ナックルフォアーで全国大会優勝、翌28年エイトクルーの誕生、初出漕で在京チームの一角を打ち砕き準優勝、翌29年向かう敵なしの堂々たる北大エイトクルーの初優勝であった。私が丁度その年から乗艇し栄えある優勝杯を拝むことが出来たのは何たる幸運かと我が身の強運に感激したものである。丁度この年は、27年国体ナックルフォアーから始まった堀内漕法の仕上げの年でもあった。堀内漕法とは艇の抵抗を最小にして、コンスタントな艇速を得る為には如何したらよいかと言うことに尽きる。極、当たり前なことであるが科学的データーを基に漕艇理論の実践をしたことである。航空機用の加速度計をコックスの前におき丹念に艇の加速度を測定し艇にかかる無駄な力を検出して徹底的に漕手の動きをチェックしたものである。スポーツと科学がこれほどまでに密接に関係している事を始めて教えられた。
29年度の新人は5番の私と3番の木下君、2番の三幣君の3人であり、他は全員28年からの残留であり、この新人3人はナックルフォアーの経験が若干あった程度の全くの素人であった。4月上旬雪解けを待って老艇“雄飛”に乗船、練習開始であった。今でも鮮明に記憶しているが初めて雄飛に乗艇した時のことである。馴れない私は艇を持ち上げた時、足を滑らして冷たい水の中に転落した。当時は船台と言ってもドラム缶の上に板を並べた程度のお粗末なものであった。やがて新艇”寿”が到着して寿による練習が始まった訳であるが、何しろ新人3人を抱えた新クルーがスムースにオールが引けるようになるまでが大変であった。この年から投入されたモーターボートは新人3人のオール先に張り付いて、情け容赦なく堀内コーチの罵声が飛んできたものである。5番、4番、3番、2番はモーターの音に邪魔されて全て5番に聞こえるから大変であった。
コーチの声は概ね{フィニッシュを引き上げろ!キャチを素早く!フォワードゆっくり!水中一気!}くらいの繰り返しであったが何しろ3人分+αの罵声を受けなければならない。“これでもか、これでもか”と自分自身に言い聞かせてオールと格闘したものである。
丁度5月の連休は新クルーの特訓スケであった。ゴールデンウイークは午前午後の2回下どんをやることによって新人も水を掴む感触を会得することが出来た。この間数100回の罵声を聞きながら無我夢中でオールを引き上げているうちに気持ちよくポーンとオールが抜ける様になったものである。この時期の特訓の成果は自分自身でもはっきりと漕手としての成長を感じ取ることが出来た。疲れ果てた末に良いオールが引けるようになる為の試練であろう。その成果が後半の艇速にはっきりと証明された。
ボート選手がよく聞かれることであるが”何が楽しくて馬車馬の如くボートを漕ぐのか“この時期を過ぎてボートを漕ぐ楽しさを理解した。それはオールに伝わってくる水の感触を楽しむことであり、ジーと水を見つめて水のスピード感を楽しむことである。
大将語録の中で我々が良く堀内コーチから聞かされた言葉がある。“練習はナイン(9)を増やすことである”今現在の力では90%の優勝確率であるが、それを99%〜99。9999…%へとナインを増やす努力が大切である。今は古びた諺となっているかも知れないが、当時堀内コーチから教えられた大将語録の幾つかを参考までに記しておこう。
“キャッチは素早く猫がねずみを獲る要領で、馬の尻を撫でるように、フィニィシュは手元を引き上げる、かまぼこをひっくり返すように、フォワードは足を最後まで突っ張る気持ちで、お尻は最後まで残して”等が堀内漕法の真髄を良く表している言葉である。
29年初優勝以来オールの研究、リガーの研究、塗料の研究等次から次へと艇速を伸ばすための努力がつづけられた。現在大勢を占めているステッキ型オールは当時北大が試作してテストしたものの中の一つであるが材料の強度不足で実用化されなかった。
残念ながらナインを増やす努力の結果も虚しく、29年以降優勝することは出来なかった。機械ではない人間の成せる技には常に予期しえない事象が起こるものである。特に8人の漕手が完全に一体化して各自が100%の力を発揮することが出来るように心、技共にコンデションを整えることの難しさを痛感した次第である。
我々の時代はエイトクルーを持っている大学の数も14〜20クルー程度であったから現在のボート界とは随分な開きがありエイトで勝負することは大変であろうが、ボートの花である北大エイトが戸田の注目を一身に集めて颯爽と疾駆する雄姿を早く見たいものである。最強のペアを4組投入しても最強のエイトにはならないであろう。最強の技術+コンデション調整が出来て初めて最強のエイトが作られる。
新たに入学した学生を短期間で立派な漕手に育てることは容易なことでは無いであろう。特に国立大学でのボート選手の養成は今後とも困難な情勢がつずくことであろう。しかし今は改革の時代である。我々も安易に50年前の回想に耽っているだけではなく次なる目標を定めて、新たなる改革に向かって出発をしなければならない。幸いなことに現在は優秀な指導者と多くの情熱溢れるボート部員諸君がいる。OB、OG諸君が一丸となって目標に向かって邁進すれば自ずと彼方に光明が見えてくるものと確信する。
“頑張れ!頑張れ北大!”薄汚れた北大応援団も頑張っているぞ!
(昭和32年卒 29年〜30年5番漕手、31年3番漕手)