退任挨拶
茨水会会長 石塚 長治
会員各位には年末を迎え何かとご多忙の事と拝察致します。
私は去る8月の理事会で会長職を「11月末日をもって退任致したい」旨表明し11月23日開催の理事会で承認されましたが、この度の退任にあたり所見の一端を述べご挨拶と致します。
現在茨水会会員は優に600名を超えここ当分は増勢し続けやがては他校なみの大所帯になるでしょうが、時代の流れとともに会員諸兄の現役諸君に対する考え方というか期待する視点も大きく変化し、私など草創期に属する者には到底考えられない次元にあり、私はこれからも変容を重ねるものと思っております。
理事諸兄に対し私は「今年満70歳の節目を迎えた。後進に道を譲りたい」と挨拶し、最近の私の体調不良も訴え理解を求めましたが、その所以は今日まで理事諸兄との意見交換、交流を通じて、現役に対する私の希いとは余りにも乖離している事を知り少なくとも茨水会活動の衝に当たる者は、その時代の流れを理解しつつ即応可能な体制づくりこそ最も急務であるとの判断も底流としてありました。
現役諸君はこうあってほしいとの私なりの考え方は勿論ありましたが今日では到底実現不可能な事であると知りました。確かに会長を引受けた当初は可なりの気負いもありましたもののその後の幾度かの対処方針話合い中で私の考えを後押ししてくれた各位には誠に申し訳ないのですが、不本意な途を選択せざるを得ませんでした。もうその時点で私の考えは古いのかなと悟った次第です。早朝茨戸へ向かう私の車の前を、集合時間に遅れまいと懸命にペダルを踏む頼もしい現役諸氏の姿を見るとき、私の若いころボートに打ち込んだ時の事など思い出させてくれました。
定刻になると次から次とクルーは船台を離れ、エイトあり小艇あり正に壮観で、エイトが一艇寂しく湖面を走る往時とは夢想だにできない光景が展開されます。
現役部員は80名を超えると聞いてます。エイトを漸く編成できる当時に比較してその陣容は格段に大型化し、大所帯であるが故にそれを仕切る主将・主務の心労は大変でしょうしその運営の悩みもまた多いと思いますが、彼らを支えるスタッフも配置されており私が垣間見る限り何とかこなして行くものと思ってます。
漕手は私が見上げる大男も居りますし体格的に惚れ惚れする面々を揃え、冬季練習は常態化し、艇もオールも不自由なく揃えてこれで何で勝てないのかと不思議に思うこともあります。
この陣容、運営、鍛えれば更に伸びるであろう逸材を擁しながら、ここ数年の戦績は会員諸氏知っての通り。毎年目標は大きく結果は程遠く、エイトはトップクラスとタイムで20秒余りの大差が現実です。折角このもてる力を存分に発揮するために「漕法はこれでベストなのだろうか」「メニュウはこれで良いのか」「艇上練習はこれで満足するのか」「年間出漕計画は見直しの必要はないのか」など何れをとっても難問かと思いますが、真正面から取り組まなくては折角の宝も持ち腐れに終わるのではないかと私は虞れます。
部長・監督は明年も引き続く部の面倒を見ることになってます。監督は寧日無く茨戸に通い部長は学問の傍ら毎週土曜日には茨戸を訪れております。会長の立場で文句の一つや二つは言いたくなることがありましたが、面と向かえば日頃の献身的な姿を承知するものとして躊躇すること再三ありました。
プロの世界では負けが込むと監督の責任とかなんとか言いますが次元が違います。無報酬で黙々と打ち込んでいる彼らを知って頂きたく敢えて言及した次第です。
最近思い至ったことなど述べたく思います。
先日とある場である会員と言葉を交わす機会があり、彼に「今学生に望むものは何か」と尋ねたところ即座に「自主性」という三文字が返ってきました。残念ながらその中身を話し合う時間はありませんでしたが、日頃私が考えていたことと合致し心強く思いました。一口に自主性といっても何を指していうのか漠としており色々な解釈もあるでしょうが、私は「自主性とは与えられた所に育つのは難しく、自ら求めるところにある」と思ってます。またまた昔の事で恐縮ですが借艇で準優勝した年の暮れ、来年度こそ自艇で日本一を目指そうと趣意書を手に同窓会名簿を唯一の頼りとして部員が昭和28年12月全国に散りました。結果はエイト一艇分の四分の一にも満たない額だったと思いますが、あの時部員全員の自主的行動力が全国制覇の源だったと今も固く信じてます。次に「集中」についてです。というと精神集中を連想するでしょうが違います。私どもの頃はマシン等は勿論ありませんしあるのは固定席艇用の「抜苦台」位でしたがそれを使っての冬季練習は採用しませんでした。冬季間の体力維持は必要と感じながら実際取り入れたのはバスケットボールで遊ぶことでした。
4月20日過ぎの合宿入りが実際の練習開始の第一日目でした。当時全日本選手権レガッタは毎年9月上旬、従ってレース迄4カ月が勝負であり、毎日朝夕二回、日曜は三回、フライは月曜の朝だけの連続でした。そのクルーが通年練習可能な在京クルーに勝った訳ですが、勿論勝因は堀内寿郎先生のご指導にありましたものの、私は限られた期間のなかでの「集中」した訓練もその一因と思ってます。
一回一回の練習の場は貴重ですから自ずから健康管理には他に迷惑を掛けぬよう留意してシーズン中は一切アルコール類は口にしませんでした。あの時私どもの楽しみの一つは札幌駅地下街で「あんまんと牛乳」を食することでこれを「豪遊」と称しておりました。
以上私の所見と併せ思い出すまま昔話など縷々述べました。退任する者「老兵は静かに去るべし」との声も聞こえますが、私には幸い知力はともかく茨戸に赴く気力、体力は未だ残されておりますので、今から明年の茨戸参りを楽しみにしてます。
ご挨拶
北海道大学漕艇部部長 西田 泰典
杉藤コーチ体制以後、「冬季トレーニングの意義付けが明確になった」、「春合宿を各所ではることにより、部員の視野が広がった」、「スポーツ生理学的知識が増加した」、「艇や艇庫の環境が著しく改善された」、「部員増に伴い活気が出てきて、積極的になった」等々に見られるように、北大漕艇部は良い部に成長し、それなりに強くなっています。特に女子について顕著であります。ただし、強くなったのは「それなりに」であって、エイトで云えばA 決勝に進出するだけでもまだ数艇身早くならねばならないのが現状であろうかと思われます。今までと同じトレーニングを繰り返していては、A 決勝進出は望むべくもないし、当然メダルにも届きません。一層の練習に励み、まず畏友東北大学に勝利することが必須条件であろうと思います。これからは「良い部」から「強い部」を目指さなければならない段階に至っていることを自覚せねばなりますまい。
杉藤氏の重しがなく、また所帯が大きくなった分、求心力を失って拡散傾向に向かう恐れもあります。それを克服するには選手諸君が自発的、積極的に練習するとともに、マネージャー陣とコーチ陣のふんばりに期待したい所です。マネージャー陣は少ない人数でよくやってくれています。一層の充実のためには選手諸君がマネージャー陣の仕事を積極的にシェアーする大人の態度が必要でしょう。コーチ陣については、若い(修士課程2年生相当の学年が中心)メンバーで臨まなければなりませんが、幸い芦立ヘッドコーチはじめ全員、自分たち自身も色々な意味で強くなって行こうという気構えでいますので、大いに期待したいと思っております。とはいえコーチとしてはまだ未熟な面も多いこと故、先輩諸兄姉の良きアドバイスをお願いする次第です。さらに、部の所帯が大きくなり、合宿などを各所で展開するようになったことや、大会出漕の機会を増やしているため、財政的な負担が増しています。どこまで耐えられるか今後の問題が残されています。誠に心苦しいことですが、茨水会の皆様にはご支援の程をよろしくお願いいたします。
繰り返しますが、選手諸君の積極的練習は勿論、マネージャー陣、コーチ陣、財政の充実が持続的に強い部を作る大きな要件だろうと思います。あえて誤解を恐れずに云えば、ともすればこれらの組織の基盤整備に手が回りかね、個人の情熱のみに依存してきた過去の北大漕艇部から脱却しなければならない時がきているように思えます。せっかく元気の出てきた我が部です。一層の進展を目指して頑張って行きたいと思っておりますので、茨水会各位には茨戸や戸田に足をお運びくださり、現役諸君を励ましていただければ幸いです。
2002シーズンと5年計画を終えて
北海道大学漕艇部監督 山口 理喜三
10月末のヘッドオブ茨戸と11月のヘッドオブ瀬田で今年のレースが終わりました(成績表参照)。同時に5年計画の「優勝にかける大事業」も終わりましたので、かいつまんで総括を報告いたします。
[2002インカレも女子総合2位]
- 東北戦は地元開催で多くの応援を頂いたが、エイトの連敗を重ねてしまった。東北大は日大・中央の2強に次ぐ位置にある。東北大と対等以上の力を持たなければ念願のインカレ(全日本大学選手権)優勝も狙えない。強い順風で6分を切ったものの東北大に水を開けられ「容易でない」印象を残すレースだった。「ハイレベルの定期戦」と注目する人もいるのに、戦績の大差は相手方にも申し訳なく思う。
- インカレは女子が前年と同じ総合2位。1位は今年も早稲田。昨年は僅差だったが、創部100年の早稲田は女子5種目のうち出漕した4種目すべて優勝という圧勝だった。北大は期待の1×林が伏兵・熊倉(早稲田)に敗れ2位。優勝は3艇出漕の4+のみだった。総合3位明治、4位日体大、法政、共立。
男子エイトは順位決定戦2位=通算6位に終わった。@中央A早稲田B法政C東北D慶応E北大F富山国際G日大。北大エイトは技術的には進歩したが安定した力強さに欠けた。「金」獲りに行ったM4×もB決勝1位=通算5位。目一杯に戦ったが及ばず。男子総合は珍しく主力を小艇に分散した日大が8種目中4種目を制して優勝。A中央B明治C日体大D立教E東北大だった。北大は無得点に終わった。
[林がアジア・マシンローイングで3冠]
6月1〜2日にシンガポールで開かれた第3回大会に北大の林雅名子と岸岡康博が日本代表で出場。林は女子個人に自己新で優勝するなど金メダル3個を獲得した。北大部員の日本代表は杉藤、河田以来。林は8月の朝日茨戸レガッタW1×に優勝し、初の海外派遣となった独ミュンヘンの大会にも代表チーム(5人)に選ばれた。
[春合宿の移動事故と安全について]
合宿の終了近く、戸田へ移動中の3台のうちオールを積んでいたRV車が東名高速でトラックに接触され、部員3人が負傷した(既報)。幸い軽傷ですみ、購入時に議論のあった艇運搬車ではなかったが、改めて安全対策を見直した。北大−茨戸の日常的往復(自転車が多い)に一層の注意が必要。秋には艇庫に駐車していた運搬車ダットサンの窓ガラスを車上狙いに破られた。運搬車の運行回数・距離は抑制に努めている。
[大事業財産を継承するコーチ体制]
- プロコーチ事業の最終年を迎え、杉藤コーチが4年目の「パート」から、クルーへの直接指導のない「コンサルタント」になった。杉藤イズム・メソッドを4年間たたきこまれた世代を中心に、その路線をしっかり定着させる体制をとった。若いコーチ陣を動きやすくするため、先輩であり前サブコーチの社会人・檜森伸也君その他を差し置いて前対校クルーの5年目・小林章人君に「キャップ」になってもらった。これに対し檜森君らが、わだかまりなくコースに現れ、気軽に話し相手になるという形でサポートしてくれたことに感謝する。
- クルー数が多いので、1クルー1コーチは付けられない。選手層をMV(男子バーシティー=対校)、MJV(同ジュニアV=セカンド)、MTV(同サードV)、FV(女子対校)、FJV(女子セカンド)、N(ノービス=新人)の6グループに分ける。新人トレーナーは最低でも4人ほしい。2年生以上は5グループに1人ずつ、最低5人の必要だ。今期は10人以上を確保でき、互いに他のグループも見るようにした。これとは別に梶原靖久君が「故障者グループ」を指導、ともすれば疎外感、孤独感からモチベーションを失いがちな選手たちを段階的トレーニングと励ましで回復させ、原隊復帰させた。全体として手厚いコーチ体制と考えたが、これでも「めったにコーチに見てもらえない」と不満を感じる選手は少なくなかった。
- コンサルタントの杉藤コーチには「コーチ陣への指導、アドバイス」を中心にインターネットなどによる質疑応答と春合宿時の直接指導などをお願いした。合宿所・借艇・他クルー動向など杉藤コーチの情報と人脈に頼る場面も相変わらず多かった。しかもヴォルテックス加工したエイト用中古オール10本の寄贈まで受けて感謝に堪えない。当初計画は終わったが、監督としてはコンサルタント継続を希望している。
[部員数、部内競争、クルー編成]
- ボートも例外でないアマ・スポーツ退潮の最中にあって、北大の大所帯は戸田でもひときわ目を引く。今年のインカレと新人戦に出漕したクルー数と人数を集計してみた(5月発行版に一覧表を掲載したい)。2年生の一部は両方出ているが、翌年を見越した「部勢」を見るには適していると思う。
- 参加93大学中、北大はインカレに男子32、女子15の計47名、新人戦に男子29、女子14の計43名、総人数90名で文字通りダントツだった。以下総人数でA東北B東大C慶応D明治E日大、早大、樽商大までが40名超。東北大は男子のみで60だ。
- 「数は要らん。少数精鋭で」「弱いクルーまで出場させるから金がかかる」―この種の議論は尽きないが、「大学4年間をかけるに値する素晴らしい部」だからこそ勧誘でき、学生が集まる。大学スポーツとして誇ってよい勲章だと思う。彼ら一人一人が「結果」の方の勲章を求め、あくなき戦いを挑む。巨大なエネルギーの塊となって津軽の海を押し渡りたい。強い目的意識が人を育てる。最低限、1人1回は全日本規模の大会に出したい。
- 北大のクルー育成方針は、小艇(特にスカル)による基本技術の習得、絶えざる部内競漕による漕力養成、合理的で透明性のあるクルー編成である。ボート界全体の流れにもなって来たが、北大は徹底している。実力上位の選手でもシートレースを複数回しくじれば対校に乗れない。手間がかかるのでクルー編成の時期が課題になる。
[プロコーチ事業の5年間]
- 98シーズンから5年計画で遂行されたプロコーチ契約の3年目、2000シーズンから監督として関わりました。私にとっても3年間の区切りのときです。大事業報告書が別に予定されていますので、ここでは簡潔に結論のみ申し上げます。
- 計画の目標は「北大の優勝」でした。いくつかの優勝カップを手にはしましたが、宿願のエイト優勝は果たせませんでした。いや、まだ距離があります。現場の責任者として力及ばなかったことをお詫びします。
- 一方で、この5年間にたくさんのタネが蒔かれ、芽を吹いていることを強調したいと思います。北大漕艇部の新しい時代が始まった、と言っていいでしょう。この芽や若葉を一心に育てれば、遠からず花実を結ぶはずです。
杉藤コーチという類稀な人材、プロ契約という大胆な選択、無謀かとさえ思われた資金計画をとにもかくにも成し遂げた茨水会。このような大事業が北大漕艇部のために行われたこと自体、奇跡のような気がします。皆様にただただ感謝あるのみです。