シリーズ2人目は若き快人の登場−。退学、再入学と9年かけて北大を出た。北海道・砂原生まれの関西人。中学は西宮、高校は野球で有名な報徳学園だが、スポーツ無縁のデブ少年だった。北大では、どうせやるならと、最もハードなボート部に飛び込み、生まれ変わった。卒業後、いくつかの職業を遊歩したのち滋賀の都に漂着、とうとう造艇職人となる。

香川 友歩(31)の巻
昭和46年2月24日、北海道・砂原生まれ。
平成2年入学、平成11年教育学部教育学科身体発達卒。

 北大ボート部は2001、2002年と連続して全日本大学選手権の女子総合2位となった。1位はいずれも創部100年で気合の入る早稲田。北大女子は01年に全日本のタイトル4つを獲得した。いまや大学女子ボートの強豪である。昭和53年頃からの長い、営々たる努力が杉藤夫妻のコーチという幸運を得て開花したものだ。かつて影もなかった女子ボートを北大に創始した勇気ある女の子達と、無い無い尽くしの中でそれを支えたコーチらの顔を思い浮かべる。その中の一人「香川さん」は、今も優しい兄貴のように慕われている。

スカル8パイ買った男、とうとう造艇職人に

 香川は懸命なトレーニングで入学時の73kgから筋肉質の48kgに大変身を遂げたが、絞り過ぎてコックスに抜擢されてしまう。3、4年時は対校エイトの舵を引き準決勝に終わる。男子チームのコーチを1シーズン務めたあと平成6年、女子のコーチを引き受ける。きっかけは芦田川で彼女達のレースを見て「本気だな」と感じたこと。もうひとつ、女子部の上級生達が「男子シングルの使ってない艇を貸してもらえないか」と頼みに来た。1年生女子に漕がせるのだと言う。自分らの漕ぐ艇も無いのに。「古い」の「重い」のと不平を言っていた男子チームの一員として恥じた。そして痛切に思った。「ボートの無いボート部じゃ強くなれない、楽しくもない。艇が欲しい、買う金が欲しい」
 ここから先が並じゃない。女子コーチを続ける一方、大学に通っていては金を稼ぐ時間が無いと、思い切り良く退学してバイトに精を出す。鉄工所、ダクト屋、居酒屋。2年で250万円をため、新艇8パイを買って女子部に寄付した。中国スターラインのダブルスカル2ハイとシングル1、イタリア・フィリッピ社トレーニング・シングル5ハイだ。彼女達は感謝の気持ちを込めてダブルに命名した。「UFO」=友歩、「KGW」=KaGaWa。このときの小艇増強が、その後の北大の、まずスカルで基礎漕力を養うトレーニング計画の土台になった。現在も、これら無しでは練習が成り立たない。
 平成9年再入学、11年春卒業。有り金はたいて艇を買ってしまったので就職活動に歩く金は無く、インターネットで募集を知った福島県・会津の畳屋に飛び込んだ。面接即OK。職人技を覚えるのは面白かったが、仕事は減る一方の職種だ。給料は滞り、越冬手当しかもらえなくなって退職。次は不動産屋に就職したものの「営業は不向き」と自己診断して1年でやめた。この間、戸田コースには出来るだけ顔を出した。同期生に合い、後輩や女子クルーを見るのが何より楽しみだった。
 そんな時、杉藤コーチから「古川さん(元全日本コーチ、宗寿氏)が桑野の社長になった。行って見たら」と声をかけられた。ボート造りは魅力あるが、それで食って行けるのか。少し考えた後、今度もエイヤッと飛び込んだ。古川社長の面接を経て採用が決まった。12年12月だった。
 職人修業の日々。もともと一番関心ある物を作るのだ。それもパーツを切って貼って、こまごまと手をかけ時間をかけて仕上げて行く。楽しくない訳がない。先輩について3ヵ月ほど経ったある日「あとは1人でやれ」と、親離れの一言。やるしかない。シングルスカル1艇に10日かかる。仕事は速いほうだ。社長以下みんなが「世界一軽くて硬い艇を造る」ことに執念を燃やしている。9〜10月のアジア大会(釜山)では桑野製Naoe Special を漕ぐ小浜水産・原田尚枝が2位に入った。日本のトップクルーのほとんどが外国艇を愛用する中、国際レガッタでメダルを獲得した最初の国産艇となったのだ(10月31日北海道新聞夕刊)。「エンパを超える。見てろ、もうすぐだ」と胸の内で唱えながらハル内側の素材を貼り合わせる香川。KUWANOマークの新艇で真っ先にゴールに飛び込む北大クルーの姿を、脳裏に浮かべているのかもしれない。

文/山口理喜三(昭和33)=敬称は省かせて頂きました

メッセージ<北大ボート部のみなさんへ>
 近年、北大も小艇王国になった感がありますが、とてもいいことですね。小艇に勝るコーチはいません。全てを教えてくれると思います。漕手のみならず、Cox、マネジャー、コーチの方々も漕いでみては? 選手の皆さんにとってボートは勝負の道具なのかも知れませんが、同時に楽しい乗り物というか、アトラクションでもありますよね。苦しい時も遊び心を忘れずに頑張って下さいね。 香川友歩

*「茨水会の快人」に紹介したいOBの自薦・他薦を歓迎します。書いて下さればなお結構。宛先は茨水会報編集部か山口理喜三監督。

 

訃報 中部謙次郎氏(享年78歳)

(毎日新聞2002年12月12日朝刊より)

 前神奈川工科大理事長、元大洋漁業<現マルハ>常務。10日腎不全のため死去。葬儀は14日午前11時、東京都中野区中央2の33の3の宝仙寺。自宅は新宿区市谷鷹匠町3市谷ヒルズ101。喪主は長男謙一郎(けんいちろう)さん。

訃報 大里外譽郎氏(享年70歳)

(北大時報2002年5月号より)

 名誉教授 大里 外譽郎 氏は,入院加療中のところ,平成14年4月18日午後5時34分,御逝去されました。
 ここに,先生の生前の御功績を偲び,謹んで哀悼の意を表します。
 同氏は,昭和6年5月8日石川県に生まれ,昭和32年3月東北大学医学部医学科を卒業し,昭和33年3月同学部附属病院において1年間の実地訓練を修了した後,同年4月より東北大学大学院医学研究科に入学し,昭和37年3月同研究科を修了,「パラミクソウイルスの潜伏感染に関する研究」により医学博士の学位を授与されました。引き続き,昭和37年4月から同38年3月まで日本学術振興会奨励研究員として東北大学医学部細菌学教室においてウイルスの潜伏感染を研究された後,同38年4月から2年9カ月,ニューヨーク州立ロズウェル・パーク記念研究所研究員として,腫瘍ウイルス学,特にマウス白血病ウイルスについて研究されました。昭和40年10月からは愛知県がんセンター研究所室長(ウイルス部ウイルス第2研究室)として引き続き腫瘍ウイルス学を研究,同43年1月に北海道大学医学部附属癌研究施設に新設されたウイルス部門の教授に就任以来27年間にわたり,主として腫瘍ウイルス学の研究とウイルス学全般の教育・研究に従事され,平成7年3月に停年により退官,同年4月北海道大学名誉教授の称号を授与されました。さらに同年同月北海道医療大学教授に就任し,平成14年3月に退職されるまで,私学の教育に尽力されました。
 同氏の研究活動は終始ウイルス学についてなされました。東北大学医学部細菌学教室での5年間は,インフルエンザウイルスとパラインフルエンザウイルスの宿主細胞への侵入機構・増殖機構及び潜伏感染機構を主として研究され,米国ロズウェル・パーク記念研究所では,マウス白血病ウイルスの試験管内培養及び試験管内発がんに初めて成功されました。さらに,愛知県がんセンター研究所では,パピローマウイルスの試験管内培養を初めて可能にされました。
 昭和43年に北海道大学に移られてからは,主としてEBウイルスに関して研究されました。同氏のEBウイルスに関する主要な研究は,北海道大学赴任当初のEBウイルスの潜在と発現を中心とする国際学術諸雑誌への報告,次いで,この潜在EBウイルスのヒト染色体局在部位の同定に関する学術誌への報告であり,いずれも高い評価を得られました。在任10年以後はEBウイルスの臨床的側面の研究に専心され,本ウイルスが伝染性単核症を発症後の免疫不全をリスク因子として悪性B細胞リンパ腫を誘起すること,原発性免疫不全症において遺伝素因をリスク因子として同様に悪性B細胞リンパ腫を生じることを明らかにされました。また,アフリカのバーキットリンパ腫の原因究明にも奔走されました。
 以上のEBウイルス発がんを中心とする一連の研究に対して,昭和58年北海道医師会賞・北海道知事賞,昭和63年野口英世記念医学賞,平成7年北海道科学技術賞を授与されました。また,多年の優れたウイルス学研究により,国際比較白血病学会理事,国際EBウイルス学会理事,日本ウイルス学会会長等を歴任され,ニューヨーク科学アカデミー会員,日本癌学会功労会員にも選出されました。一方学内にあっては,医学部附属癌研究施設長を通算5期,平成2年4月から同4年3月まで北海道大学評議員を歴任され,大学の運営に寄与されました。また,担当する癌研究施設ウイルス部門の門下から5名の医系大学教授が誕生しており,研究者教育にも貢献されました。
 以上のように,同氏はウイルス学分野においての研究で優れた業績をあげるとともに,学生の教育,人材育成等我が国の学術進歩に貢献されました。
 ここに,先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

(北海道大学大学院医学研究科・医学部)

 

<編集後記>
 最近では、漕艇部の活動も学内で広く認知されるようになり、大学のホームページなどにも記事が掲載されています。詳しくは下記アドレスをご覧下さい。
えるむNo.95「エルムさん 漕艇部」
えるむNo.91「がんばれ北大 漕艇部OB河田氏」
えるむNo.89「クラブ紹介 漕艇部」

 名簿データに関してですが、住所変更等ここ1年にご連絡頂いたものを変更名簿として掲載しております。万が一、漏れ等ある場合はたいへん恐れ入りますが、連絡はがき等にて編集担当までご連絡願います。
 なお、本誌編集にあたって、会員レース結果の編集に神孝幸(H3)、名簿データ編集として黛竜太(H7)、小田まこと(H8)の皆様にご協力頂きました。この場をお借りして感謝申し上げます。
(編集担当:植村泰雄(S51)、須田善行(H2))