僕は外人コーチ 僕は外人コーチ−3− PORT観戦記
(月刊漕艇1996年4月号)

1995年12月6日水曜日の午後、私は、あるテレビ番組の始まりを待っていました。
その冒頭で私が目にしたものは、映画「ハスラー」のようにビリヤードのキューを操るデレク・ポーター選手と、火花の飛び散る鉄工所の中から現れたシルケン・ローマン選手でした。予期せぬ派手な演出で現れたこのニ人を少し説明させていただきます。

ポーター選手は92年のオリンピックで男子エイトの整調として優勝、翌93年の世界選手権ではシングルスカラーとして優勝、そしてローマン選手は91年の世界選手権で女子シングルスカルで優勝しました。二人はカナダ漕艇界のスーパー・ヒーローなのです。
ローマン選手に関しては、「漕艇界」という言葉は適当でないかも知れません。1992年、ドイツでのレガッタで起きた衝突事故で右下腿を複雑骨折した彼女は、その事故の2ケ月後にオリンピックの決勝を漕ぎ、銅メダルを獲得しました。その間、彼女は4回の手術を受け、杖なしで歩けるようになったのはバルセロナへ発つ直前だったそうです。
このストーリーに多くのカナディアンたちは涙し、今や彼女はドノバン・ベイリーやラリー・レミューにも勝るとも劣らぬカナダにおけるアマチュア・スポーツ・ヒーローなのです。(注:ベイリー:1995年世界陸上100mチャンピオン。レミュー:1988年オリンピック、ヨットレース銀メダリスト。レース中に人命救助に向かった彼に、コースアウト前の順位に基づいて組織委員会はメダルを授与した。)

番組は、11月末にエルク湖で開催されたパナソニック・オリンピック・ロウイング・トライアル(PORT)の模様を放映するものでした。
このしースは以前、Rowing Canada Aviron Nationals(カナダ漕艇協会選手権)と呼ばれていましたが、95年の初夏にナショナル・チームがパナソニック・カナダのスポンサーシップを受けたことから、今回から、上記の名称の冠大会となりました。正式名称はさておき、多くの関係者は、この大会をスピード・オーダー・レガッタ(艇速にランク付けをするレース)と俗称で呼びます。
この大会の結果は、トレーニング・センター・アスリート(政府機関スポーツ・カナダから資金援助を受ける代表候補選手)を決める選考資料となるのです。
日々のトレーニングやトライアルの結果、エルゴメータ・テストなどの生理学的なデータ、といったものも選考基準となりますが、このレースが最大の意味を持っています。
レースは、個々のパフォーマンスを重視して、小艇2種目(2-と1xのみ)について男女、重量級/軽量級の計4クラス、1部のクラスでは2種目が行わないため合計7種目で行われる。
このレースの上位進出者がナショナル・チーム選手となり、その中からさらに選抜して代表クルーが決定します。
私は、レースの3日間、アンカーで固定されたコーチ・ボートから、計時要員としての仕事をしばしば忘れそうになりながら、至近距離で観戦しました。秋のビクトリアにありがちな雨の中でしたが、選手たちを観察したり、同乗したコーチらと話したり、時々現れる太陽に照らされて美しく輝くエルク湖の自然に感嘆したり、とても楽しい時間を過ごしました。
このしースを通じて、私が見聞きしたことなどをいろいろ書いてみたいと思います。 「パナソニック・カナダ」によるスポンサーシップは、RCA(Rowing Canada Aviron:カナダ漕艇協会)だけでなく、カナダにおけるアマチュア・スポーツにとっては、画期的な出来事だったようです。
RCAは、これまでにもいくつかの企業とのスポンサー契約をもっていましたが、その内容は、各社の製品(またはサービス)が無償あるいは格安で受け取れるというものが中心で、それに加えての年間25万ドルという高額な現ナマのもたらしたインパクトは相当なものだったでしょう。
カナダの各スポーツ協会の収入は、ほとんどがスポーツ・カナダからの助成金と、各協会の事業収益で占められているという事実からも、インパクトの大きさを推し測ることができます。
様々なアマチュア・スポーツのコーチであるNCIのクラスメイトは、みなー様に大きな興味を示していました。
このスポンサーシップ、そしてもちろんスター選手の活躍によって、カナダでは、ロウイングが人気スポーツとしての地位を築きつつある、と感じました。(ちなみにローマソ選手をはじめとする数名の選手が、個人でスポンサー契約を持っています)

8レースを見た全体の印象としては、第一にどの種目もトップ・グループの選手は断然強い、ということ。第二に、それに続く選手たちの層が非常に厚い、ということでした。その傾向は、特に女子の重量級と男子の軽量級で顕著です。最近数年間、双方のカテゴリーが国際的に成功を収めていますが、層の厚さがその大きな要員のーつだと感じられました。
それと比較すると、男子重量級はやや駒不足の感が否めません。92年のオリンピック前のスピード・オーダー・レガッタでは、M2-で4艇が6分30秒台前半でゴールになだれ込んだそうですが、今回、そのレベルで漕いだクルーはひとつだけでした。

今回のしースに限らず、国際レベルのしースを生で見ると感じることがあります。
トップ・アスリートたちの漕ぎを見ていると、目の前を漕ぎ抜けてゆく選手たちがやっているのは、私の知っている漕艇競技とは全く異なるスポーツなのではないか、という考えが頭をよぎるのです。
もちろん、両者は同じロウイングです。ですが、そんなことを考えてしまうくらい、彼ら(彼女ら)の漕ぎは違うのです。女性たちは重量級だろうが軽量級だろうが、日本の男子顔負けの力強い漕ぎをします。
特に、今回のしースで、F2-優勝クルーのパワーに裏打ちされ安定した技術は大変印象的でした。
男子重量級の選手たちの強さを「体の大きさ」に求めることは簡単ですが、必ずしも皆が巨大というわけではありません。トップ選手の中にも軽量級の上限の少しだけ上という人が何人もいます。
男子軽量級のしースを見ていて感じたのは、エルゴメータ・テストのスコアに、日本とカナダでそう大差がないのに、特に1xでトップの層の厚さに大きな差があることです。
日本にも7分そこそこで漕げる軽量級スカラーが現れ始めましたが、カナダではそのしベルに10名近くがひしめいています。
何がその差を作るのか? この謎めいた疑問が、私をここビクトリアまで連れてきた、といっても過言ではありません。
この疑問に答え得ることとして、私はいま2つのことを考えています。ひとつは練習の、もうひとつはレースの、いずれも量と質です。平たく言えば、ひとつが練習の量と質によって得られる高い技術で、もうひとつが高いレベルのレースを多くこなすということです。彼らのレース・レートは少なくとも32、高い選手では37にもなります。もしかすると、日本の選手は、まだ高いしートでしースを漕ぐことへの準備が生理的、心理的、技術的にできていないのではないだろうか、と私は感じています。
次に、最後の 500mでの争いは、見ていて恐ろしくなるほどのスプリントです。選手もコーチも、この部分でレースが決することをよく知っています。
日本の選手・コーチがこのことを本当の意味で知ったのは、93年の世界選手権で準決勝のトップを走っていた日本ML4-が、最後の数百メートルで次々に抜かれて5位になったときが最初ではないでしょうか。
多くの厳しいしースを通じて得られるしースの感覚を持っているという強さが、日本選手にはまだ欠けているのではないでしょうか、と私は感じています。いずれも、まだ確信は持てません。

女子重量級2-のレースで、2位集団に9秒という大差で快勝したクルーの整調テレサ・ルーク選手とフェアウェル・パーティーで同席し、いろいろと話をしました。
1989年に半年間、名古屋に滞在して英語を教えていたという話に、名古屋出身の私は驚きましたが、それ以上に印象的だったのは、彼女は日本から帰国して後の1990年、彼 女が24歳のときに初めてオールを握った、という話でした。
日本の女子のスポーツ選手の多くが20代前半で引退すること、そして、その原因としては、社会や周囲のプレッシャーとか、あるいは若年からのオーバー・トレーニングが考えられる、と話したところ、彼女は実に悲しそうな顔をしていました。
文化的相違を嘆いても仕方のないことですが、いわば、カナダ文化の産物である彼女と話しながら、日本の現状の中でどうやって最良のやり方を見付け出すべきか、ということを考えさせられました。
彼女のほかにも、女子重量級のしースに参加した選手のなかに、個性的な2人を見つけました。世界のトップで争いたい、とバレーポールのナショナル・アスリートの座を捨てて、ロウイングに移ってきた選手、そして、故障のため正しいフォームで走れなくなった中距離走のナショナル・アスリートです。
私にとっては、それら全てが驚きなのですが、子供のころからいろんなスポーツをやっているカナディアンにとっては、さして珍しくもないようです (これらに関連して、長期的な選手育成については、いずれこのリポートの題材にしたいと考えています)。

以上を今月のリポートとしたいと思います。次回は、BOAのマーケティング・スタッフとのインタビューをテーマにする予定です。

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