僕は外人コーチ −5−
心理トレーニング(月刊漕艇1996年6月号)
私が大学に入学したての頃、同期のボート部員であった清原 剛君(現・東レ滋賀漕艇部)が言ったことを今でも鮮明に億えています。
当時から研究熱心なコックスであった清原は、対校コックスをつとめていた先輩が読んでいた本の題名を見て驚いたそうです。対校コックスが読んでいたのは、ジム・レイヤー著「メンタル・タフネス」でした。清原は、その先輩が意志力・決断力に優れ、そんな本が必要とは思えない、と言うのです。
私が興味深いと思ったのは、私と清原の分析の相違です。私の目には、その先輩は非常に理知的である反面、なにか自信なげな部分がある、と映っていました。
今考えると、この経験は、心理トレーニングがどんな選手にも必要だ、ということを語る好例だと思われて仕方がありません。見る人が違えば、ある人の心理状態は全く別ものに映るでしょうし、状況が違えば、同じ人でも精神は全く異なる反応をするかも知れません。
日々の練習ではいつもアグレッシブで「根性がある」といわれている選手が、レースではおどおどしてしまって全く力を発揮できない、というのはよくあることです。
リレハンメル五輪、男子スピード・スケート1000m金メダリストのジャンセン選手は、心理トレーニングのお陰で金メダルを獲得できた、と後で述懐しています。
長年にわたってスプリントの王者として君臨した彼ですが、なぜかずっと五輪の金には縁がなく、金メダル・レースとなった1000mは、彼の引退レースでした。彼はその時、自分の精神を思うがままにコントロールし、イメージと寸分違わぬスケーティングができたそうです。
そのしースの数日前、彼は大本命と見られた500mで重大なミスを犯して、メダルはおろか入賞さえできませんでした。やっぱり駄目か、と絶望しそうなものですが、彼はこのしースをすぐに「よいシュミレーションであった」と教訓にしてしまい、1000mでのスーハー・パフォーマンスに繋げたのだそうです。
「打倒ジャンセン」を追求した結果、彼のミスから歯車が狂って、そのまま力を発揮できずに終った有力選手のことも記憶に新しいところです。
昨年の全日本エイトの覇者、トヨタ自動車クルーは、コックスの菊池さんの主導で行った心理トレーニングが大きな成果を挙げたと聞いています。心理戦の鍵を握るコックスの多くが、心理トレーニングの導入に積極的なのは興味深いと思います。
現在、私はいかなる選手にも計画的な心理トレーニングが必要であると考えています。かく言う私も、つい最近まで、心理トレーニングというのは、どこかから偉い心理学者を連れてきて、催眠術のような類のことをするとか、専門家を雇える裕福なチームのやること、などと考えていました。加えて言えば、パフォーマンスがプラトー(高原状態)に達したしベルの高い選手があとほんの少しの向上を求めてするものだ、とさえ考えていました。
考えを変えるきっかけを作ってくれたのは、ドリュー・ハリソン氏でした。彼が、選手である私たちにしたことは、非常に高い目標を設定して、それを、可能である、と繰り返し強調することでした。
初めは、そんなの無理だ、できないと反応していた自分が知らぬうちに、ほんの少しでも可能性があるのならチャレンジしなきゃ損だ。さらに、できる、やってやると考えるようになったのです。
心理トレーニングは、専門家ではなくコーチによって行われ、そして時間を付け足してではなく、日々の練習に統合されたときにもっとも効果がある、というのが NCCP(国家コーチ免許制度:第1回リボート参照)の哲学です。
レベル1・2と コーチとしてステップアップしながら、心理トレーニングは私の最も苦手とするところでした。哲学には賛同できても、どうやってそれを満たせばよいのか、ずっと判らなかったのです。
ドリェーのしたことも、その哲学のうち前者は満たしても、後者は満たしていません。(彼はミーティングの場でそれを言っていました) 目からぽろぽろとうろこを落としてくれたのは、アル・モロー氏(カナダ女子重量級チーム・コーチ)でした。
1月のある朝、はじめて彼のコーチ・ボートに乗ってトレーニングを見学させてもらった時のことです。複雑な地形のエルク湖は、水域によって全く風が変わることがあります。この朝がそうでした。
彼は、風が変化する度に、あらゆるコンディションがそれに対応するための良い練習であることを選手に話し、練習の前後には、アトランタ・レニア湖の各地点で変化するコンディションについて言及しました。強い斜逆風をものともせず、95年タンベレでの世界選手権に逆転優勝を飾ったへドル・マクビーン組の強さの秘密を垣間見た気がしました。
顧みるに、選手としての私は、風向きにー喜一憂し、大嫌いな横風が吹くとそれだけで、ああ、このしースはだめだ、などと考えたりしたものです。
まさに、そうか! と膝を打つ思いでした。このときやっとNCCPの哲学を理解できたのです。
すぐれた選手は、自分でその方法を見つけ出してやっていますし、多くのコーチは、それを心理トレーこングと呼ばずに行っています。そういった、ばらばらに行われているであろう心理トレーニングを計画的に行うノウハウについて、私の経験と、これまでに得た知識に基づいて、以下に簡単にまとめてみたいと思います。
まず、心理トレーニングの目的は「IPS(IdeaI Perfor-mance state:理想的パフォーマンス状態)」をつくることにあります。選手の人格を操作したり、いわゆるマインド・コントロールなどということをするわけではなく、あくまで競技のためのスキル(手法)に過ぎません。
心理スキルには、大別して「リラクセーション」、「積極的思考」、「覚醒」、「視覚化」、「集中」の 5つ(順不同)があります。これらについて少し説明を加えてみます。
A.リラクセーション
競技の場面だけでなく、技術の習得にもこれが重要であるのは、皆さんおなじみのことと思います。意識的な呼吸のコントロールなどが有効です。
B.積極的思考
日々の練習で最も強調すべきなのは、このスキルだと思います。たとえば、順風の中を漕いできたクルーが転回して、これから逆風に向かうとします。最初は「ああ、逆風だ、重いな、いやだな」と思うでしょうが、コーチの言葉と行動によって「これは逆風に対応するためのよい練習なのだ」と思考を変えて行くのです。
C.覚醒
例えば、フットボールのディフェンス・タックルとクォータ一・バックでは、必要とされる覚醒のしベルは全く違います。これがコントロールできずに、あまりにも気分が高ぶり過ぎたり、あるいはあまりにも平穏過ぎたりすると、よいパフォーマンスは望めません。音楽、呼吸、キーワード、視覚化などが有効です。
D.視覚化
自分の思考の中で、自分の理想とする姿をイメージします。これを繰り返して行うと、イメージはまるで現実のように鮮明になり、遂には現実にそれができるようになります。たとえばンングルスカルを漕ぎ出してみてください。次に目を閉じて、完壁なバランスで全く体をゆらさずにすいすいと漕いでいる自分をイメージしてみてください。イメージのなかのボートが完全に安定したら、目を開けて漕いでみてください。その絶大な効果に驚くことでしょう。
このスキルに長じた選手は、レースをイメージするだけで心拍数は 180にも達し、だらだらと発汗したあげく、派手なガッツ・ポーズをして飛び跳ねます。
E.集中
あらゆる破壊的な要因を排除して、あることに注意を向けること、または、起きてしまった混乱や危機を管理して、注意を再びあるべき方向に向けることです。レース前の回漕中にキョロキョロと観客などあらぬ方向を見たり、審判艇の曳き波に烈火のごとく怒ったりするのは、このスキルが欠けている好例です。レース時間の変更も、スタートの失敗も、悪天候もものともせずに集中力を取りもどすタフな精神は、それぞれの起こり得る状況をどうやって管理するかというプランと、日々の練習で培った心理スキルによって作られます。
これら 5つのスキルは、それぞれが独立しているのではなく、密接に関わっています。IPSは個々の選手によって違います。コーチがすべきことは、まず、レースでどんな心理的スキルが重要かを自分で考え、どうやってそのスキルを選手に習得させるかを計画します。
次に、後掲の【付 録】に例示したようなアンケートを使って選手の IPSを知り、どのスキルをどれくらい重点を置いてコーチングするかを決めます。
IPSの習得には、5つのステップがあります。いきなり、レース時の状況に即したIPSを作り出そうとしてもそれは無理な相談ですから、この原則は守るべきです。
5つのステップとは、(1)積極的な雰囲気づくり、(2)情動コントロール、(3)注意力コントロール、(4)レース戦略づくり、(5)実行 です。
(1)はどんな状況でも積極性を持ちつづけるために、(2)は恐れや怒りや失望を極力制御して冷静さを保つために、いずれも不可欠なステップです。
このリポートを締めくくる前に、今、自分が実行中の心理トレーニング・プランをー部ここに紹介しようと思います。
<Channel Crisis(運河の危機>
エルク湖は厳密に言うと、エルク及びビーバーの 2つの湖から成っています。
この 2つを繋ぐ水路部分には島が点在しており、ここはチャネル(運河)と呼ばれています。2 km 以上漕ごう とすると、ここは避けて通れません。選手は方向転換、他のボートのコーナリング、コンディションの変化などにー度に対応しなければなりません。
私は、ここを通過することを重要なフォーカス・コントロール及びストレス・マネージメントのトレーニングと位置づけています。
最近、選手たちはテクニックに対する注意力を失わず、編隊を組んだままここを抜けられるようになりました。怒号が飛び交い、技術は目茶苦茶になったままなかなか元にもどらなかった以前を思うと、大きな進歩です。
<Try something else(何かやってみよう=バラエティ)>
クロス・トレーニング・セッションを設けたり、クルー・ボートに乗るセッションを設けたりしています。
スカラー主体のわがチームですが、シングルに乗ることをずっと新鮮に保つだけでなく、態勢感覚やスピードといった神経系のトレーニングにも効力を発揮します。
ほかにも、ゲーム的なセッションを適当に組み入れると、効果は教え切れないほどあります。積極性、チーム・スピリット、疲労蓄積防止、燃え尽き防止・・・・etc. 最近、チームで凝っているのは、アルティメイト・フリスビーというフリスビーとアメフトの合の子のようなスポーツです。
<Simulation(想定)>
一本一本、全てのストロークにおいて、レースを想定します。それがし易いように、練習のすすめ方を考えたり、必要ならば、どんなことを考えて漕ぐべきかに言及します。
<Mental Preparation for Hiroshi(自分自身の心理トレー
ニング・プラン)>
コーチが冷静さを失っては、選手・チームは、レースで最高のパフォーマンスを得ることができません。心理スキルを「根性」のひと言でくくってしまうのは簡単ですが、とても危険です。実体のない「根性」は、ビッグ・レースでは役に立たない場合が多いですし、それを鍛えるなどと称して意味不明の練習を選手に課すのは、犯罪的でさえあります。
選手あるいはコーチとして、真剣にスポーツに接したことのある方ならお判りかと存じますが、スポーツはそれに投入したエネルギーの分だけ、パフォーマンスの向上という形で返ってきます。
一生懸命、体力を振り絞るのは無論のこと、一生懸命、知力や精神力を動員すれば、必ず、努力に見合う向上があるはずです。偶然を期待していては、チャレンジャーとは言えません。トレーニングの効果を最大にするのは、目的意識をもってトレーニングに臨むこと、これに尽きます。
最高のしースをするためには、最高の積極性が必要なのです。心がなければ、体は動きません。もうすぐ本格的なレース・シーズンを迎えようとしている今でも、遅くはありません。あなたのトレーニング・プログラムに、心理トレーニングのプランを加えてみては、如何でしょうか?
<トピックス>
私事になりますが、スティーブ・フリッツ氏が当クラブの看板部門である女子ジュニア・チーム(サンディエゴ・クルー・クラシック3連勝中。多くの代表を輩出している)のコーチとなったのを受けて、私は、男子シニア・チームのヘッド・コーチに1月1日付で就任いたしました。へたくそな英語や責任の重さに戸惑いはありますが、なんとか頑張っています。
【付録】:心理トレーニング計画アンケート
(注)Tery Orlick(テリー・オーリック)著 「Pursuit of Excellence(卓越性の追求)」を資料として作成した。
@ あなたの生涯最高のパフォーマンスを思い起こしてください。そのことについて、以下の質問に答えてください。
1.試合の前にどのように感じましたか?
下記のニ択の間の階層で、自分に最も当てはまる階層を選んでください。
心身ともに −
平穏であった(1-2-3-4-5-6-7)力がみなぎっていた
恐れや不安はなかった(1-2-3-4-5-6-7)極端に怖れ、不安だった
2.その試合のスタート直前に、自分に何を言いましたか?
3.試合中、どんなことを意識して集中しましたか?
次に、あなたの生涯最悪のパフォーマンスを思い起こしてください。そのことについて、以下の質問に答えてください。
4.試合の前に、どのように感じましたか?(〇で囲む)
平穏であった(1-2-3-4-5-6-7)力がみなぎっていた
恐れや不安はなかった(1-2-3-4-5-6-7)極端に怖れ、不安だった
5.その試合のスタート直前に、自分に何を言いましたか?
6,試合中、どんなことを意識して集中しましたか?
7.最高と最悪のパフォーマンスにおいて、試合前に考えたことには、どんな大きな違いがありましたか?
8.最高と最悪のパフォーマンスにおいて、試合中に意識を集中した対象にはどんな大きな違いがありましたか?
9.現在、あなたは試合前、どのように感じたいですか?
10.重要な試合の最中、あなたはどのように意識を集中したいですか?
11.あなたは、試合やトレーニングに向かう自分自身の気持ちに、変えたいことはありますか?
12.試合やトレーニングに向かうコーチのやり方に、変わっ
てほしいことはありますか?
この稿おわり